前回の続きです。
太陽の磁場の強弱が地球の気温に大きな影響を及ぼす、という話でした。
太陽の磁場の強弱は黒点の数で分るそうです。磁場が強くなれば黒点の数が増え、弱くなれば減ります。そしてその強弱には11年の周期があるそうです。つまり、無黒点状態から徐々に黒点が増え始め5〜6年でその数がピークになり、その後、減少して・・・を繰り返し、その周期が11年ということです。
ところが、2008年からあらたな周期に入るはずが、今だ黒点が観測されていないそうです(この文章は訂正します。黒点は観測されているのですが、数が少ない、ということのようです)。本来であればそろそろ数のピークを向えていなければならない時期です。つまり太陽は無黒点時代に入った=太陽の磁場が弱まる時代に入ったのではないか、と学者の一部が考えています。
人類の歴史を振り返ってみても、過去に無黒点時代がありました。今回、初めて知ったのですが、14世紀から17世紀にかけて、地球が寒冷化し、小氷河時代と言われていたんですね。その真っ只中にはルネサンスがありました。文化、文明はけっこう花盛りの時代です。画家のレンブラントが活躍したのは17世紀だそうで、思うにその画風も寒かった時代の影響を受けているのですね。当時の絵や音楽を鑑賞する時や、史実を解釈する時に、天候が不安定で寒い時代であったのだ、という観点で見ることも必要かな、とも思います。
さて、我々もこれから小氷河時代を生きねばならないのかも知れません。どうやら寒冷化は70年くらいは続きそうなので、私たちは今後生涯レンブラントの絵画のような世界を生きることになります。天候は不安定で、天変地異も多く、寒い夏が続いたと思えば、時には猛暑に見舞われ、多くの地域で冬の寒さが厳しくなり、農作物の収穫量は世界的に激減するでしょう。増え続けていた世界の人口も、今後は飢えと寒さの為、減少に向かうことでしょう。寒さに強い品種の農産物の開発が急がれますね。
2012年05月12日
2012年05月10日
地球は寒冷化へ向うのか?
今後、地球は寒冷化へ向う、という説があります。桜井邦朋さんという理学博士の方が書いた「眠りにつく太陽」(祥伝社新書)を読んでみました。
まず、地球寒冷化のメカニズム。
1.寒冷化は地球の大気圏内に侵入してくる宇宙線が増えることで生じる。
2.宇宙線が大気圏内の水蒸気と反応して雲を生じさせ、それが、太陽光エネルギーを遮るから。
3.太陽系外から降ってくる宇宙線は、太陽の磁場の力によって跳ね返されたり、進路を変えられる。
4.今、太陽の磁場の力が弱っている。
5.よって宇宙線が太陽系内および地球の大気圏内に浸入してくる量が増える。
6.結果、雲が増えて、太陽エネルギーを遮ってしまい、寒冷化が起こる。
地球温暖化に関しては以前から懐疑的ではありました。大気のおおまかな構成は80%が窒素、20%が酸素です。炭酸ガスは0.04%に過ぎません。その0.04%が人為的な活動で多少増えようが、地球規模の影響を及ぼすほどの大事になるとは考えにくいです。
一方、桜井博士の理論は、納得できます。
もう10年くらい前から、中丸薫さんという方が、地球は寒冷化に向っており、闇の支配者たちは、すでにその対策に動いている、とその著作で書いておりました。中丸氏の本は、中学時代にノストラダムスを読んだ感覚で、一時期、半分茶化しながら、それでも面白がって読んでましたが、その内容の是非は別として、市場がコモデティ(商品)価格の上昇に向うという主張など、その予測はけっこう当たってます。
2015年には、完全に寒冷化する、とも言われてます。年間平均気温が1.5℃〜2℃下がるらしいです。
ただでさえ寒い遠野暮しは、余計、辛くなりそうです。冬期の屋根の仕事も大変です。今年はホントに寒かった。
農作物が心配ですね。化石燃料も奪い合いが起こるのは間違いないでしょう。
作物も化石燃料も、結局、お金を持っている人から順番に手に入れる、というのが非情な現実です。裕福な日本は食糧・燃料はある程度確保できるでしょうが、価格は、大幅に高騰するでしょう。したがって心掛けるべきことは、少食と化石燃料をあまり使わない暮しです。少食は身体に良いので慣れればけっこう快適です。こうなると家はやはり高断熱・高気密化せざるを得ませんね。車は出来るだけ燃費が良いモノにしましょう。薪とか自分で調達可能な燃料も確保して、できるだけ経済的負担を軽減しましょう。
でもいちばん良いのはどこか暖かい国に行って暮らすことでしょうね。私は出来ればそうしたい。仕事がなければ、の話ですが。
まず、地球寒冷化のメカニズム。
1.寒冷化は地球の大気圏内に侵入してくる宇宙線が増えることで生じる。
2.宇宙線が大気圏内の水蒸気と反応して雲を生じさせ、それが、太陽光エネルギーを遮るから。
3.太陽系外から降ってくる宇宙線は、太陽の磁場の力によって跳ね返されたり、進路を変えられる。
4.今、太陽の磁場の力が弱っている。
5.よって宇宙線が太陽系内および地球の大気圏内に浸入してくる量が増える。
6.結果、雲が増えて、太陽エネルギーを遮ってしまい、寒冷化が起こる。
地球温暖化に関しては以前から懐疑的ではありました。大気のおおまかな構成は80%が窒素、20%が酸素です。炭酸ガスは0.04%に過ぎません。その0.04%が人為的な活動で多少増えようが、地球規模の影響を及ぼすほどの大事になるとは考えにくいです。
一方、桜井博士の理論は、納得できます。
もう10年くらい前から、中丸薫さんという方が、地球は寒冷化に向っており、闇の支配者たちは、すでにその対策に動いている、とその著作で書いておりました。中丸氏の本は、中学時代にノストラダムスを読んだ感覚で、一時期、半分茶化しながら、それでも面白がって読んでましたが、その内容の是非は別として、市場がコモデティ(商品)価格の上昇に向うという主張など、その予測はけっこう当たってます。
2015年には、完全に寒冷化する、とも言われてます。年間平均気温が1.5℃〜2℃下がるらしいです。
ただでさえ寒い遠野暮しは、余計、辛くなりそうです。冬期の屋根の仕事も大変です。今年はホントに寒かった。
農作物が心配ですね。化石燃料も奪い合いが起こるのは間違いないでしょう。
作物も化石燃料も、結局、お金を持っている人から順番に手に入れる、というのが非情な現実です。裕福な日本は食糧・燃料はある程度確保できるでしょうが、価格は、大幅に高騰するでしょう。したがって心掛けるべきことは、少食と化石燃料をあまり使わない暮しです。少食は身体に良いので慣れればけっこう快適です。こうなると家はやはり高断熱・高気密化せざるを得ませんね。車は出来るだけ燃費が良いモノにしましょう。薪とか自分で調達可能な燃料も確保して、できるだけ経済的負担を軽減しましょう。
でもいちばん良いのはどこか暖かい国に行って暮らすことでしょうね。私は出来ればそうしたい。仕事がなければ、の話ですが。
2012年04月30日
究極の利己主義が道徳を生む
久しぶりに更新します。
春になり、新入社員を向かえ、セカセカした日々を送ってました。
そんな中、内田樹という方の「寝ながら学べる構造主義」という本を読みました。
「構造主義」と言えば、思い出すのは浅田彰氏です。かつて「ポスト構造主義」とかいう何やら知的でオシャレな風潮があり、当時、流行に乗って浅田彰氏の著作を読んでみましたがさっぱり分らず、元の構造主義が分らんのにポスト・・・が分るわけないわな、と思い、さかのぼって構造主義の本を読んでみてもこれも全然理解できず、そのことがずっと頭の片隅に引っかかってました。その難解な構造主義が寝ながら分るのか!と喜んで読み始めたのですが・・・、この内田樹という方の文章、はっきり言って読み辛いです。もっと簡単な表現が可能なのに、回りくどいというか、なんでわざわざそんな単語をここで使うかな!という文章が多すぎます。こういう文章を読んでいるとだんだん腹が立ってくるのですが、我慢して読み通しました。で、結論。やっぱり分らん。
それでも無理やり分ったふりして言わせてもらいましょう。散歩者流に構造主義を分りやすく言えば、次の一言に尽きると思います。
「構造主義とは、主観を完全に捨て去り、神の視点に立って、現象を見渡し、世界を解釈すること」
今回、腹を立てながらも、内田氏の著作からは多くを学んだような気がします。まず、構造主義自体は別に難解な思想ではなく、むしろ、我々は日頃から普通に構造主義的な思考をしているんだよ、という点。そうか、自分自身の中にすでに構造主義は存在しているのか、と思うと、長年の(構造主義に対する)劣等感が払拭された気がして、実にさっぱりしました。
さらに、衝撃的だったことは、表題にも書きましたが、道徳とか公共心とかいう一般に美徳とされているものが、実は究極の利己主義、功利主義の結果として発生した、という考え方です。
昔、社会科の倫理社会の時間に習ったホッブスという哲学者の「万人の万人に対する戦い」=リヴァイアサンってありましたね。
人間が自然権を形振り構わず行使すれば、他人の生命を奪い、その財産を奪取するということがそこら中で発生します。それがリヴァイアサンという状態です。そこで生きて行く為には、自分の生命と財産を守る為に多大な労力と経費がかかり、極めて効率が悪い。そこで利己主義者、功利主義者は、「他人の生命、財産を奪ってはいけない」というルールを作った方がはるかに都合が良い、と考えた。それがいつしか道徳と呼ばれ、法の基礎となり、公共性という概念が生まれ、国家が誕生した。つまり、利己主義、功利主義を追求した結果、利他主義になってしまった、ということです。
なんか、すごく納得してしまいました。
ものすごく自分自身に引きつけて考えれば、例えば、不況で周囲が食うものにも困っているとします。けれど自分だけ仕事が順調でお金も余裕があり、仕事で疲れてるから休日くらいは温泉でゆっくりしたいと思います。でも、知人たちが苦しい状況で、自分だけ温泉でゆったり幸せな気分にはなれません。その時思います。「頼むから皆、裕福になってくれ、そして私を何も気にせず温泉に浸かれる気分にしてくれ・・・」。これもひとつの利己主義的な思考です。利己的な発想で他者の幸福を願ってます。
人間は利己的であり功利的である。それで良し、と認めてしまえれば、実にさっぱりします。精神が健康になります。そして、その結果として公共性や互助精神が生まれ、全体の幸福度が向上してゆく。このように考える方が、愛とか自己犠牲とかを説かれるより、私はしっくりきます。そう言えば、日本では昔から言いますね、「情けは人の為ならず」って。
春になり、新入社員を向かえ、セカセカした日々を送ってました。
そんな中、内田樹という方の「寝ながら学べる構造主義」という本を読みました。
「構造主義」と言えば、思い出すのは浅田彰氏です。かつて「ポスト構造主義」とかいう何やら知的でオシャレな風潮があり、当時、流行に乗って浅田彰氏の著作を読んでみましたがさっぱり分らず、元の構造主義が分らんのにポスト・・・が分るわけないわな、と思い、さかのぼって構造主義の本を読んでみてもこれも全然理解できず、そのことがずっと頭の片隅に引っかかってました。その難解な構造主義が寝ながら分るのか!と喜んで読み始めたのですが・・・、この内田樹という方の文章、はっきり言って読み辛いです。もっと簡単な表現が可能なのに、回りくどいというか、なんでわざわざそんな単語をここで使うかな!という文章が多すぎます。こういう文章を読んでいるとだんだん腹が立ってくるのですが、我慢して読み通しました。で、結論。やっぱり分らん。
それでも無理やり分ったふりして言わせてもらいましょう。散歩者流に構造主義を分りやすく言えば、次の一言に尽きると思います。
「構造主義とは、主観を完全に捨て去り、神の視点に立って、現象を見渡し、世界を解釈すること」
今回、腹を立てながらも、内田氏の著作からは多くを学んだような気がします。まず、構造主義自体は別に難解な思想ではなく、むしろ、我々は日頃から普通に構造主義的な思考をしているんだよ、という点。そうか、自分自身の中にすでに構造主義は存在しているのか、と思うと、長年の(構造主義に対する)劣等感が払拭された気がして、実にさっぱりしました。
さらに、衝撃的だったことは、表題にも書きましたが、道徳とか公共心とかいう一般に美徳とされているものが、実は究極の利己主義、功利主義の結果として発生した、という考え方です。
昔、社会科の倫理社会の時間に習ったホッブスという哲学者の「万人の万人に対する戦い」=リヴァイアサンってありましたね。
人間が自然権を形振り構わず行使すれば、他人の生命を奪い、その財産を奪取するということがそこら中で発生します。それがリヴァイアサンという状態です。そこで生きて行く為には、自分の生命と財産を守る為に多大な労力と経費がかかり、極めて効率が悪い。そこで利己主義者、功利主義者は、「他人の生命、財産を奪ってはいけない」というルールを作った方がはるかに都合が良い、と考えた。それがいつしか道徳と呼ばれ、法の基礎となり、公共性という概念が生まれ、国家が誕生した。つまり、利己主義、功利主義を追求した結果、利他主義になってしまった、ということです。
なんか、すごく納得してしまいました。
ものすごく自分自身に引きつけて考えれば、例えば、不況で周囲が食うものにも困っているとします。けれど自分だけ仕事が順調でお金も余裕があり、仕事で疲れてるから休日くらいは温泉でゆっくりしたいと思います。でも、知人たちが苦しい状況で、自分だけ温泉でゆったり幸せな気分にはなれません。その時思います。「頼むから皆、裕福になってくれ、そして私を何も気にせず温泉に浸かれる気分にしてくれ・・・」。これもひとつの利己主義的な思考です。利己的な発想で他者の幸福を願ってます。
人間は利己的であり功利的である。それで良し、と認めてしまえれば、実にさっぱりします。精神が健康になります。そして、その結果として公共性や互助精神が生まれ、全体の幸福度が向上してゆく。このように考える方が、愛とか自己犠牲とかを説かれるより、私はしっくりきます。そう言えば、日本では昔から言いますね、「情けは人の為ならず」って。
2012年04月06日
不可思議な夢
4月4日の暴風は凄まじかったです。修理依頼がかなり来ており、急遽、工事予定を変更し3班が修理専属で動いてます。修理をお待ちのお客さんはもう少々お待ちください。当社の倉庫も被害を受けておりますが、まだ手付かずです。それにしても自然災害が多すぎます。どうしたことでしょう?
1月末から私の周囲で奇妙なことがたてつづけに起こっていることは何度か書きましたが、今日もその続きの話です。
4月4日の晩、というか4月5日の夜明け前というか、奇妙な夢を見ました。
私は、遠野の駅前でバスに乗って自宅へ帰るつもりのようでした。なぜ、バスに乗るのかよく分りません。膝の上にはマジソン・スクエア・ガーデンのバッグ(分る人は何人いるか?)を抱えています。中には大金が入っているようでした。どうやら私は長年懸案のある件を解決し、家に帰るところのようです。バスのシートに座り、私は充実感と幸せを感じてました。家が近づきましたが、あまりにバスのシートが心地よく、私は自分へのご褒美に、もうちょっとバス旅行を楽しもう、と思います。八幡神宮前のバス停(我が家の最寄)を乗り過ごし、その先へと私はバスに揺られて行きました。窓の外の風景は現実の風景と違い、きれいな夕焼けと草原が広がっています。次の瞬間、気がつくとあたりはとっぷりと暮れてました。どうやらバスはターミナルに入ってゆくようです。暗闇の中に、何台ものバスが並んでいるのが見えました。ヤバイ、ヤバイここで引き返そうと私は思います。外は灯はまったくなく、ターミナルの建物は洋風の急勾配屋根で、ヨーロッパ風に見えました。私の乗ったバスはそこを巡回し、止まらずにそのまま商店街へ出ました。その商店街はどこも軒先に灯を灯し、狭い通りを明るく照らしてました。その明るさにほっとするとともに、遠野のはずれにこんな商店街があったのか、と不思議に思った瞬間、「ピッピピ、ピッピピ」という甲高い音に目を覚まされました。目覚まし時計が鳴ったのでした。いつも6時になるようセットしてあるのですが、カーテンの隙間の闇はまだ暗く、カミさんが「えっもう6時なの?」と言ってテレビを点けたら・・・まだ夜中の2時過ぎでした。
変だな、と思って目覚まし時計(電波時計)を見ると、ぜんぜん違う時刻を表示してます。
「変な夢を見てた」とカミさんにさっきまで見ていた夢の話をしました。
「もし、目覚ましが鳴らなかったら、夢の世界から帰ってこれなかったりして・・・」とカミさんが言いました。
実際、あの時目が覚めなかったら、夢の続きはどのようなものだったのでしょう。私はいったいどんな世界に迷い込んだのでしょうか。非常に興味があります。
目覚まし時計はいつの間にか正常に戻って、今は正確な時刻を表示してます。
1月末から私の周囲で奇妙なことがたてつづけに起こっていることは何度か書きましたが、今日もその続きの話です。
4月4日の晩、というか4月5日の夜明け前というか、奇妙な夢を見ました。
私は、遠野の駅前でバスに乗って自宅へ帰るつもりのようでした。なぜ、バスに乗るのかよく分りません。膝の上にはマジソン・スクエア・ガーデンのバッグ(分る人は何人いるか?)を抱えています。中には大金が入っているようでした。どうやら私は長年懸案のある件を解決し、家に帰るところのようです。バスのシートに座り、私は充実感と幸せを感じてました。家が近づきましたが、あまりにバスのシートが心地よく、私は自分へのご褒美に、もうちょっとバス旅行を楽しもう、と思います。八幡神宮前のバス停(我が家の最寄)を乗り過ごし、その先へと私はバスに揺られて行きました。窓の外の風景は現実の風景と違い、きれいな夕焼けと草原が広がっています。次の瞬間、気がつくとあたりはとっぷりと暮れてました。どうやらバスはターミナルに入ってゆくようです。暗闇の中に、何台ものバスが並んでいるのが見えました。ヤバイ、ヤバイここで引き返そうと私は思います。外は灯はまったくなく、ターミナルの建物は洋風の急勾配屋根で、ヨーロッパ風に見えました。私の乗ったバスはそこを巡回し、止まらずにそのまま商店街へ出ました。その商店街はどこも軒先に灯を灯し、狭い通りを明るく照らしてました。その明るさにほっとするとともに、遠野のはずれにこんな商店街があったのか、と不思議に思った瞬間、「ピッピピ、ピッピピ」という甲高い音に目を覚まされました。目覚まし時計が鳴ったのでした。いつも6時になるようセットしてあるのですが、カーテンの隙間の闇はまだ暗く、カミさんが「えっもう6時なの?」と言ってテレビを点けたら・・・まだ夜中の2時過ぎでした。
変だな、と思って目覚まし時計(電波時計)を見ると、ぜんぜん違う時刻を表示してます。
「変な夢を見てた」とカミさんにさっきまで見ていた夢の話をしました。
「もし、目覚ましが鳴らなかったら、夢の世界から帰ってこれなかったりして・・・」とカミさんが言いました。
実際、あの時目が覚めなかったら、夢の続きはどのようなものだったのでしょう。私はいったいどんな世界に迷い込んだのでしょうか。非常に興味があります。
目覚まし時計はいつの間にか正常に戻って、今は正確な時刻を表示してます。
2012年03月31日
ああ、亀井静香・・・
ついに下地幹事長が本性を現しましたね。前からその言動がどうも亀井代表と異なるので気になっていました。
昨年9月頃、馬淵澄夫氏を応援していることは書きましたが、もう一人、亀井静香は信頼して良い大物政治家と思ってました。郵政民営化に対する態度が、本当に国を思う政治家なのか否かの試金石だったと思います。反対派の筆頭に立ったのが亀井氏でした。野田聖子議員もそうでしたね。田中康夫氏も中身がオバチャン過ぎるのが難ですが、大きな案件での判断は常に正しいな、と思って見てます。
さて、その亀井氏が、ついに裏切られました。やられました。悔しいです。なぜ、下地なんてヤツと組んだのでしょう?
今の政治情勢は、私の目には次のように映ってます。
野田総理は、真面目な方です。信念もあり、国を思う気持ちもあるでしょう。但し、財政というか経済に弱いです。構造改革は不況時にやってはいけない、という大原則が分っていません。増税などもっての他です。しかし、真面目な野田さんは、国のお金がない、借金が多い、このままでは破綻する、との思いから、自分が泥をかぶろうとも信念を持って増税をしようとしてます。その真面目な思いを、他の腹黒い大多数の政治家連中が利用しようとしています。野田氏もそれを知っているのでしょう。おそらく、野田・亀井対談で、亀井氏は野田氏に、「君は利用されているだけだ、政治家のホンネは皆増税したがっている。その役を君に押し付け、結果、君が国民から恨まれ失脚した後の美味しいところを狙っているのだ」と言って説得したのだろうと想像します。しかし、野田氏の信念は曲げられなかったのでしょう。自分が代表する党からも裏切られ、男・亀井静香はどこへ行くのでしょう。
腹黒い政治家たちは、増税という汚れ役を野田氏に押し付ける戦略です。表向きは増税反対を唱えながら、腹の中は違います。その証拠に、誰も野田政権の足を引っ張っていない。社会保障と税の一体改革も厚生年金と共済年金の融合も野田氏だからこその誠意の結果だと思います。しかし、利用されていることに変わりはない。亀井氏の悔しさが手に取るように分ります。私も悔しいです。
昨年9月頃、馬淵澄夫氏を応援していることは書きましたが、もう一人、亀井静香は信頼して良い大物政治家と思ってました。郵政民営化に対する態度が、本当に国を思う政治家なのか否かの試金石だったと思います。反対派の筆頭に立ったのが亀井氏でした。野田聖子議員もそうでしたね。田中康夫氏も中身がオバチャン過ぎるのが難ですが、大きな案件での判断は常に正しいな、と思って見てます。
さて、その亀井氏が、ついに裏切られました。やられました。悔しいです。なぜ、下地なんてヤツと組んだのでしょう?
今の政治情勢は、私の目には次のように映ってます。
野田総理は、真面目な方です。信念もあり、国を思う気持ちもあるでしょう。但し、財政というか経済に弱いです。構造改革は不況時にやってはいけない、という大原則が分っていません。増税などもっての他です。しかし、真面目な野田さんは、国のお金がない、借金が多い、このままでは破綻する、との思いから、自分が泥をかぶろうとも信念を持って増税をしようとしてます。その真面目な思いを、他の腹黒い大多数の政治家連中が利用しようとしています。野田氏もそれを知っているのでしょう。おそらく、野田・亀井対談で、亀井氏は野田氏に、「君は利用されているだけだ、政治家のホンネは皆増税したがっている。その役を君に押し付け、結果、君が国民から恨まれ失脚した後の美味しいところを狙っているのだ」と言って説得したのだろうと想像します。しかし、野田氏の信念は曲げられなかったのでしょう。自分が代表する党からも裏切られ、男・亀井静香はどこへ行くのでしょう。
腹黒い政治家たちは、増税という汚れ役を野田氏に押し付ける戦略です。表向きは増税反対を唱えながら、腹の中は違います。その証拠に、誰も野田政権の足を引っ張っていない。社会保障と税の一体改革も厚生年金と共済年金の融合も野田氏だからこその誠意の結果だと思います。しかし、利用されていることに変わりはない。亀井氏の悔しさが手に取るように分ります。私も悔しいです。
2012年03月30日
楽器と頭髪の関係
前回、ギターの話を書きました。
今、私はほとんどギターを手にしません。たまに弾いてみると、まず左手の指先の皮が痛くなってきます。右手はうまく弦をとらえられません。要するにすごく下手くそです。なぜこうなってしまったか?
実を言うと、20代半ばくらいから意識的にギターを弾くことから遠ざかりました。理由は、頭髪の保護のためです。
これから書くことは、医学的な根拠はまったくありません。あくまで私の実体験から思うことであります。
学生の頃、レコード屋でギタリストのレコードを漁っていて、あることに気がつきました。
ギタリストは頭髪が薄い人が多い、ということです。
クラシック界からいけば、ナルシソ・イエペス、ジュリアン・ブリーム、ジョン・ウィリアムス、セゴビアだってそうだし、まあ、高名なギタリストはほとんど髪の毛がありません。白髪のギタリストっていたかな?と思います。
ジャズ界でもジョー・パス、ジム・ホール共お見事。ウェス・モンゴメリーは薄くなる前に死んじゃったし、ロック・フュージョン界に目を向けてみてもリー・リトナーやラリー・カールトン、サンタナと皆さん心もとない感じでした。ロックのギタリストは若くしてお亡くなりになっている方が多いのでよく分りません。
よって当時の私の結論は、「ギターは髪の毛に悪い」
で、当時の私の髪は、パーマをかけていたせいもあり、人から薄いと言われることはなかったのですが、元々が癖毛で細い髪質であると自覚しており、頭髪の将来に関しては悲観的な思いでおりました。
気のせいか、モーレツに練習を続けていると髪が細くハリがなくなってくるような気がしました。で、しばらく練習を休むと元に戻るのです。
大学時代はサークルでギターを弾いていたので、止めるわけにはいきませんでした。毎年、暮れにコンサートがあり、最後のコンサートの後、どうしようか考えました。で、頭髪を優先し、ギターはほどほどにしよう、ということにしました。
社会人になってからは、パーマは止めましたが、癖毛がいい感じのウエーブを作ってくれ、当時としては比較的めずらしい長めの髪形をしておりました。ギターをほとんど弾かない生活でしたが、そのせいか髪のコシもけっこうあって、当時の写真を見ると髪多いな、と思います。
で、現在はどうか、と言えば、さすがに若い頃と比べるとコシはなくなってますが、量はあまり変わってないような気がします。その代わり、かなり白くなってしまいました。30代の後半から急速に白くなり始め、今では、多分、私の第一印象は「白髪の人」だと思います。
ずっとギターを弾き続けていたら、私の頭髪はどうなっていたのでしょう。
ちなみに、ギター以外ではサックスやトランペットなど金管楽器のプレーヤーは薄毛の人が多く、逆にフルートやクラリネットの木管楽器の方は白髪が多いような気がします。とくにフルートはキレイな白髪の演奏家が多いですね。
老後を考え、もう一度ギターを弾こうかとも思いますが、待て待てここまでがんばったのだから、ロマンス・グレーを目指して今からフルートの練習でもしようか、とも思う私がいます。
でも、ギターって最高に楽しい楽器ですよ。演奏家によってこれほど音質が変わる味わい深い楽器はないのではないでしょうか?ギターへの罪滅ぼしに、次回はギターにまつわるもっといい話を書きます。
今、私はほとんどギターを手にしません。たまに弾いてみると、まず左手の指先の皮が痛くなってきます。右手はうまく弦をとらえられません。要するにすごく下手くそです。なぜこうなってしまったか?
実を言うと、20代半ばくらいから意識的にギターを弾くことから遠ざかりました。理由は、頭髪の保護のためです。
これから書くことは、医学的な根拠はまったくありません。あくまで私の実体験から思うことであります。
学生の頃、レコード屋でギタリストのレコードを漁っていて、あることに気がつきました。
ギタリストは頭髪が薄い人が多い、ということです。
クラシック界からいけば、ナルシソ・イエペス、ジュリアン・ブリーム、ジョン・ウィリアムス、セゴビアだってそうだし、まあ、高名なギタリストはほとんど髪の毛がありません。白髪のギタリストっていたかな?と思います。
ジャズ界でもジョー・パス、ジム・ホール共お見事。ウェス・モンゴメリーは薄くなる前に死んじゃったし、ロック・フュージョン界に目を向けてみてもリー・リトナーやラリー・カールトン、サンタナと皆さん心もとない感じでした。ロックのギタリストは若くしてお亡くなりになっている方が多いのでよく分りません。
よって当時の私の結論は、「ギターは髪の毛に悪い」
で、当時の私の髪は、パーマをかけていたせいもあり、人から薄いと言われることはなかったのですが、元々が癖毛で細い髪質であると自覚しており、頭髪の将来に関しては悲観的な思いでおりました。
気のせいか、モーレツに練習を続けていると髪が細くハリがなくなってくるような気がしました。で、しばらく練習を休むと元に戻るのです。
大学時代はサークルでギターを弾いていたので、止めるわけにはいきませんでした。毎年、暮れにコンサートがあり、最後のコンサートの後、どうしようか考えました。で、頭髪を優先し、ギターはほどほどにしよう、ということにしました。
社会人になってからは、パーマは止めましたが、癖毛がいい感じのウエーブを作ってくれ、当時としては比較的めずらしい長めの髪形をしておりました。ギターをほとんど弾かない生活でしたが、そのせいか髪のコシもけっこうあって、当時の写真を見ると髪多いな、と思います。
で、現在はどうか、と言えば、さすがに若い頃と比べるとコシはなくなってますが、量はあまり変わってないような気がします。その代わり、かなり白くなってしまいました。30代の後半から急速に白くなり始め、今では、多分、私の第一印象は「白髪の人」だと思います。
ずっとギターを弾き続けていたら、私の頭髪はどうなっていたのでしょう。
ちなみに、ギター以外ではサックスやトランペットなど金管楽器のプレーヤーは薄毛の人が多く、逆にフルートやクラリネットの木管楽器の方は白髪が多いような気がします。とくにフルートはキレイな白髪の演奏家が多いですね。
老後を考え、もう一度ギターを弾こうかとも思いますが、待て待てここまでがんばったのだから、ロマンス・グレーを目指して今からフルートの練習でもしようか、とも思う私がいます。
でも、ギターって最高に楽しい楽器ですよ。演奏家によってこれほど音質が変わる味わい深い楽器はないのではないでしょうか?ギターへの罪滅ぼしに、次回はギターにまつわるもっといい話を書きます。
2012年03月21日
ニューヨークからの電話
先日の日曜、隠れ家で過ごし、帰りがけに携帯を見ると奇妙な表示が。「通知不可能」
非通知設定なら分りますが通知不可能とは?しかも呼び出しは1秒で切れてます。着信音が鳴った憶えもありません。
ここ1ヶ月以上、奇妙なことが立て続けに起こっており、またか、と思いました。
翌月曜、盛岡での工程会議が終わり車に乗り込んで会社へ電話しようと携帯を取り出すと、またまた2件「通知不可能」の着信が入っておりました。気味悪く思いながら会社に電話すると・・・「誰か分ったよ!」とカミさん。「あなたのニューヨークのお友達、スカイプ使ってたんだって。さっき会社に電話があった。メルアド教えといたよ」とのこと。
ニューヨークに友達なんていたっけか?と思った瞬間、懐かしい顔が浮かんできました。Mです。Mとは小学6年から高校まで同級生として過ごしました。仲が良くなったキッカケは音楽でした。
私は子供の頃から家にギター(クラシック・ギターというよりガット・ギターと言った方が合っている)があり、小学生の頃から遊びで弾いており中学校に入った頃には「禁じられた遊び」はもちろんフェルナンド・ソルの「月光」とかフランシスコ・タレガの「ラグリマ」や「マリア」が弾けるようになっておりました。独学で楽譜も読めるようになっており、フォークのアルペジオを使った伴奏などはほとんど初見で弾けました。但し、同級生の前で弾くことはなく、誰も私がギターを弾けることは知りませんでした。
中学3年の秋、Mがギターに興味を持ちました。行動派の彼は音楽室の倉庫にクラシック・ギターが置いてあるの発見し、その倉庫の鍵を開ける方法もあみ出して、ある日音楽室に侵入しました。なぜか私も連れて行かれました。それから2人で休み時間になると毎日、音楽室に侵入し、思い思いにギターを弾いて遊んでいました。私としては、人前でギターを弾く快感を初めて知りました。そのことがキッカケで卒業式の後の謝恩会で、教師と卒業生全員とその父兄の前で演奏を披露するハメになりました。中学校の体育館のステージが私の初舞台となったわけです。
高校3年。部活を引退した秋、Mはバンドを組んで活動を開始しました。同級生の間ではそのメンバーに私が入っていたと勘違いしている連中が多いですが、誤解です。ちなみに私が東京時代「東京乾電池」で脚本を書いているというウワサが流れたようですがそれもガセです。
その後、2人とも東京に出て道は分かれましたが、確か私が大学の3年?の頃、正月で帰省していたところMが袋いっぱいのリンゴをぶら下げて突然やってきました。コタツにあたって代わる代わるギターを弾き合いました。当時のMはジャズ寄りのフュージョン系の音楽を目指してました。パット・メセニーがいちばん好きで、その日もたくさんテープを持ってきてこれを聴け、あれを聴けとお気に入りの演奏をさんざん聴かされました。夕方、飲みに行こうと街へ歩いて向かいました。
その道すがら、Mがニューヨークへ行く、と言い出しました。向こうで音楽に人生を賭けたい、ということでした。
同級生が働いている駅前の飲み屋へ行き、そこへ一人また一人と同級生たちが集まり、最後は7〜8人になってました。店が閉まるまで飲み続け、深夜の雪が舞う通りをぞろぞろと歩いて帰りました。その中の一人が何か私にちょっかいを出し、その時T(今は遠野で大成功しているジンギスカンの店の経営者)が「やめろ!沼田はな、早稲田行ってんだぞ。俺らの誇りなんだぞ」と怒鳴りました。そして大声で「早稲田!早稲田!」と何処で憶えたのか「都の西北」を歌い出しました。当時、音楽サークルの活動を言い訳にしてほとんど授業に出ていなかった私はTに「やめてくれ」と小さな声で言いました。
その夜、Mは私に新宿のバーのマッチを渡し、新宿で静かに飲みたくなったら行ってみろ、と言いました。「スティック」という店でした。
間もなく、宣言した通り、Mはニューヨークへと旅立ちました。
MのHPがあり、5年ほど前、お前の事書かせてもらったぞ、と言うのでのぞいて見たら、ほんとにさくっとした内容で、わざわざ言うほどのことないじゃん、と思ったのですが、良く見ると英語版のページがあり(というかこちらの方がメインだった)、Mのプロフィールのページの最初に中学時代の私との思い出がしっかりと書かれてました。
Mとは音楽室でさんざんギターを弾いた後、放課後、私の家の応接間のステレオで、よくクラシックのレコードを聴いてました。当時、私はバイオリンにも興味があり、安いバイオリンを買ってもらってました。ギターと違いバイオリンは独学ではどうしようもありません。それでも「シェルブールの雨傘」のメロディーを何とか弾いたりしながら遊んでました。クラシックのレコードもハイフェッツやオイストラフのバイオリン協奏曲が多かったと思います。私自身忘れかけていた思い出でしたが、Mにとっては特別な時間だったようで、彼から見たその時の様子が英文で語られてました。友人の記憶の中にそのように残れることの幸せを感じました。
そのMが、ついにニューヨークを引き払う決心をしたようです。
電話は午後6時過ぎにかかってきて、8時過ぎまで話しました。こちらは寒い夜でしたが、向こうはパープル色の夜明けの景色を眺めながら話していたのでしょうか?
非通知設定なら分りますが通知不可能とは?しかも呼び出しは1秒で切れてます。着信音が鳴った憶えもありません。
ここ1ヶ月以上、奇妙なことが立て続けに起こっており、またか、と思いました。
翌月曜、盛岡での工程会議が終わり車に乗り込んで会社へ電話しようと携帯を取り出すと、またまた2件「通知不可能」の着信が入っておりました。気味悪く思いながら会社に電話すると・・・「誰か分ったよ!」とカミさん。「あなたのニューヨークのお友達、スカイプ使ってたんだって。さっき会社に電話があった。メルアド教えといたよ」とのこと。
ニューヨークに友達なんていたっけか?と思った瞬間、懐かしい顔が浮かんできました。Mです。Mとは小学6年から高校まで同級生として過ごしました。仲が良くなったキッカケは音楽でした。
私は子供の頃から家にギター(クラシック・ギターというよりガット・ギターと言った方が合っている)があり、小学生の頃から遊びで弾いており中学校に入った頃には「禁じられた遊び」はもちろんフェルナンド・ソルの「月光」とかフランシスコ・タレガの「ラグリマ」や「マリア」が弾けるようになっておりました。独学で楽譜も読めるようになっており、フォークのアルペジオを使った伴奏などはほとんど初見で弾けました。但し、同級生の前で弾くことはなく、誰も私がギターを弾けることは知りませんでした。
中学3年の秋、Mがギターに興味を持ちました。行動派の彼は音楽室の倉庫にクラシック・ギターが置いてあるの発見し、その倉庫の鍵を開ける方法もあみ出して、ある日音楽室に侵入しました。なぜか私も連れて行かれました。それから2人で休み時間になると毎日、音楽室に侵入し、思い思いにギターを弾いて遊んでいました。私としては、人前でギターを弾く快感を初めて知りました。そのことがキッカケで卒業式の後の謝恩会で、教師と卒業生全員とその父兄の前で演奏を披露するハメになりました。中学校の体育館のステージが私の初舞台となったわけです。
高校3年。部活を引退した秋、Mはバンドを組んで活動を開始しました。同級生の間ではそのメンバーに私が入っていたと勘違いしている連中が多いですが、誤解です。ちなみに私が東京時代「東京乾電池」で脚本を書いているというウワサが流れたようですがそれもガセです。
その後、2人とも東京に出て道は分かれましたが、確か私が大学の3年?の頃、正月で帰省していたところMが袋いっぱいのリンゴをぶら下げて突然やってきました。コタツにあたって代わる代わるギターを弾き合いました。当時のMはジャズ寄りのフュージョン系の音楽を目指してました。パット・メセニーがいちばん好きで、その日もたくさんテープを持ってきてこれを聴け、あれを聴けとお気に入りの演奏をさんざん聴かされました。夕方、飲みに行こうと街へ歩いて向かいました。
その道すがら、Mがニューヨークへ行く、と言い出しました。向こうで音楽に人生を賭けたい、ということでした。
同級生が働いている駅前の飲み屋へ行き、そこへ一人また一人と同級生たちが集まり、最後は7〜8人になってました。店が閉まるまで飲み続け、深夜の雪が舞う通りをぞろぞろと歩いて帰りました。その中の一人が何か私にちょっかいを出し、その時T(今は遠野で大成功しているジンギスカンの店の経営者)が「やめろ!沼田はな、早稲田行ってんだぞ。俺らの誇りなんだぞ」と怒鳴りました。そして大声で「早稲田!早稲田!」と何処で憶えたのか「都の西北」を歌い出しました。当時、音楽サークルの活動を言い訳にしてほとんど授業に出ていなかった私はTに「やめてくれ」と小さな声で言いました。
その夜、Mは私に新宿のバーのマッチを渡し、新宿で静かに飲みたくなったら行ってみろ、と言いました。「スティック」という店でした。
間もなく、宣言した通り、Mはニューヨークへと旅立ちました。
MのHPがあり、5年ほど前、お前の事書かせてもらったぞ、と言うのでのぞいて見たら、ほんとにさくっとした内容で、わざわざ言うほどのことないじゃん、と思ったのですが、良く見ると英語版のページがあり(というかこちらの方がメインだった)、Mのプロフィールのページの最初に中学時代の私との思い出がしっかりと書かれてました。
Mとは音楽室でさんざんギターを弾いた後、放課後、私の家の応接間のステレオで、よくクラシックのレコードを聴いてました。当時、私はバイオリンにも興味があり、安いバイオリンを買ってもらってました。ギターと違いバイオリンは独学ではどうしようもありません。それでも「シェルブールの雨傘」のメロディーを何とか弾いたりしながら遊んでました。クラシックのレコードもハイフェッツやオイストラフのバイオリン協奏曲が多かったと思います。私自身忘れかけていた思い出でしたが、Mにとっては特別な時間だったようで、彼から見たその時の様子が英文で語られてました。友人の記憶の中にそのように残れることの幸せを感じました。
そのMが、ついにニューヨークを引き払う決心をしたようです。
電話は午後6時過ぎにかかってきて、8時過ぎまで話しました。こちらは寒い夜でしたが、向こうはパープル色の夜明けの景色を眺めながら話していたのでしょうか?
2012年03月17日
「略奪大国」ジェームス・スキナー2
雨の土曜です。現場は2班が午前中いっぱいがんばって戻り、後の1班は16時帰社。残りの2班は就業時間一杯まで作業しました。お疲れ様でした。
今朝の報道で、共済年金と厚生年金の一元化の法案が提出されるとのこと。実施は平成27年、つまり今から3年後。税金と社会保障の改革は確実に進展してます。今から書こうとしている「略奪大国」に対する反論も、これと密接に関連してます。
「略奪大国」からデータを引用します。あらためて数字を拾って見ると辻褄の合わない部分、誤魔化してないか、と思う部分も出てきましたので、そこは強引に解釈しました。悪しからず。
「日本は現在(平成23年10月)1050兆円の借金があり、今後はこの赤字を年間30兆円から44兆円のペースで増やすことになる」
まずこの数字をしっかり頭に入れて考えていきます。著者は日本の財政上の問題点はこの1点に尽きると主張しています。私も異論ありません。ではこの数字が導かれた根拠は、と言うと
1.日本国の年間予算(約80〜90兆円)に対し、税収は約40兆円しかなく、したがって約40〜50兆円が不足。
2.日本の国債費用(発行済み国債に対して発生する経費、すなわち償還費用、利息、および事務費用の合計)は82兆円。
3.社会保障費が約75兆円。その60%は保険金でまかなっている。よって75兆円×40%=30兆円が不足。
4.1年間のあらたな国債発行額は約108兆円。
まず、4のあらたな国債を発行することで、2と3をカバーします。したがってここで前年より30兆円(社会保障の保険金で足りない部分)が前年より増える赤字部分です。
では、1の年間予算で足りない分の40〜50兆円は?というと、著者はいろいろと調達する方法があるので問題ない、としています(ここが一番あやしい部分。でも多分事実、どうにかなりそうな気がします)。どんな方法があるのか教えて欲しいです。
何れにせよ著者が言いたいのは、社会保険料の不足分約30兆円だけが唯一の財政上の問題点なのだから、社会保障を40%カットせよ。さすれば、後の借金(国債の償還)は、毎年借り換えで行けばOKだから問題なし、ということのようです。アレ、私が普段書いていることと近くなってきました。相違点は毎年積み上がってゆく30兆円の赤字で日本国が破綻するかしないかです。
私は、毎年2〜3%のインフレ率が健全な経済状態だと思っていました。対して著者は、インフレ・デフレも0%が理想としてます。この主張が私にはとても新鮮でした(反論と言いながらまるで反論になっていないですね)。
電化製品などに代表されるように、生産数量の増加、技術の高度化により、工業製品の大部分は、その初期段階より製造コストが下がっていくのが一般的です。はじめに原価1万円で売価1万5千円だった製品が2年後に原価5千円まで製造コストが下り、1万円で売っても以前と同じ利益が取れるようになると仮定します。
そこに中央銀行が介入します。中央銀行はマネーサプライを増やし、インフレ化を図ります。2年前に1万5千円だった製品が通貨価値が変わらない状態で1万円まで値下げになるわけですから、逆に、今の1万5千円が2年前の1万円の価値しかないようなインフレ、すなわち年率22%のインフレが2年続けば1万5千円の製品が、2年後も1万5千円で売れ、販売数量も当然増えているわけですからGDPも大きく伸びることになります。これが著者がいうところの理想的な資本主義社会です。
駅前商店街の家電屋さんの立場から見ると、1万5千円の製品が1ヶ月で100台売れる、すなわち月商150万円の商売をしていたとして、貨幣価値が変わらなければ、2年後は製品価格が1万円になった製品を2年前と同じ100台売って月商は100万。売上は2/3に減り経営は苦しくなります。そこでがんばって150台売ってやっと月商150万円で2年前と同じになりますが、当然、労力は増えます。家電屋さんにとっては以前は100台売る労力で生活が出来てましたが、2年後は同じ収入を得ようとすれば150台売らなければならなくなる、ということです。自分1人では人手が足りず従業員を雇わなければならなくなるかもしれません。そうすると人件費がかさみます。ここでリスクを取って従業員を増やす家電屋さんとそうしない家電屋さんに分かれます。後者は商売を縮小しその多くは廃業して行くでしょう。リスクを取った前者の多くはリスクを吸収し切れず倒れます。一部の勝ち残った家電屋さんが大型量販店に成長します。今の日本を、極めて単純なモデルで表すとこうなります。
もし生産の効率化に連動した貨幣価値の操作が成功していればどうなったか?
駅前の家電屋さんは2年後も変わらず1ヶ月100台の製品を売って月商150万円を維持してます。もしかしたら製品の認知度が上がり普及が進んで1ヵ月に110台くらい売れて月商165万円になって、以前より暮しが楽になっているかもしれません。駅前商店街も以前と変わらず賑わっているでしょう。何となく穏やかで優しい風景が見えてくるような気がします。
こうして書きながらも正直言ってまだ頭が混乱してます。自分でも詭弁を弄してるような気がしないでもありません。
ところで反論はどうしたのでしょう?話が長くなり過ぎて力尽きました。やっぱり私の知識では無理です。もっと勉強しないと・・・。
今朝の報道で、共済年金と厚生年金の一元化の法案が提出されるとのこと。実施は平成27年、つまり今から3年後。税金と社会保障の改革は確実に進展してます。今から書こうとしている「略奪大国」に対する反論も、これと密接に関連してます。
「略奪大国」からデータを引用します。あらためて数字を拾って見ると辻褄の合わない部分、誤魔化してないか、と思う部分も出てきましたので、そこは強引に解釈しました。悪しからず。
「日本は現在(平成23年10月)1050兆円の借金があり、今後はこの赤字を年間30兆円から44兆円のペースで増やすことになる」
まずこの数字をしっかり頭に入れて考えていきます。著者は日本の財政上の問題点はこの1点に尽きると主張しています。私も異論ありません。ではこの数字が導かれた根拠は、と言うと
1.日本国の年間予算(約80〜90兆円)に対し、税収は約40兆円しかなく、したがって約40〜50兆円が不足。
2.日本の国債費用(発行済み国債に対して発生する経費、すなわち償還費用、利息、および事務費用の合計)は82兆円。
3.社会保障費が約75兆円。その60%は保険金でまかなっている。よって75兆円×40%=30兆円が不足。
4.1年間のあらたな国債発行額は約108兆円。
まず、4のあらたな国債を発行することで、2と3をカバーします。したがってここで前年より30兆円(社会保障の保険金で足りない部分)が前年より増える赤字部分です。
では、1の年間予算で足りない分の40〜50兆円は?というと、著者はいろいろと調達する方法があるので問題ない、としています(ここが一番あやしい部分。でも多分事実、どうにかなりそうな気がします)。どんな方法があるのか教えて欲しいです。
何れにせよ著者が言いたいのは、社会保険料の不足分約30兆円だけが唯一の財政上の問題点なのだから、社会保障を40%カットせよ。さすれば、後の借金(国債の償還)は、毎年借り換えで行けばOKだから問題なし、ということのようです。アレ、私が普段書いていることと近くなってきました。相違点は毎年積み上がってゆく30兆円の赤字で日本国が破綻するかしないかです。
私は、毎年2〜3%のインフレ率が健全な経済状態だと思っていました。対して著者は、インフレ・デフレも0%が理想としてます。この主張が私にはとても新鮮でした(反論と言いながらまるで反論になっていないですね)。
電化製品などに代表されるように、生産数量の増加、技術の高度化により、工業製品の大部分は、その初期段階より製造コストが下がっていくのが一般的です。はじめに原価1万円で売価1万5千円だった製品が2年後に原価5千円まで製造コストが下り、1万円で売っても以前と同じ利益が取れるようになると仮定します。
そこに中央銀行が介入します。中央銀行はマネーサプライを増やし、インフレ化を図ります。2年前に1万5千円だった製品が通貨価値が変わらない状態で1万円まで値下げになるわけですから、逆に、今の1万5千円が2年前の1万円の価値しかないようなインフレ、すなわち年率22%のインフレが2年続けば1万5千円の製品が、2年後も1万5千円で売れ、販売数量も当然増えているわけですからGDPも大きく伸びることになります。これが著者がいうところの理想的な資本主義社会です。
駅前商店街の家電屋さんの立場から見ると、1万5千円の製品が1ヶ月で100台売れる、すなわち月商150万円の商売をしていたとして、貨幣価値が変わらなければ、2年後は製品価格が1万円になった製品を2年前と同じ100台売って月商は100万。売上は2/3に減り経営は苦しくなります。そこでがんばって150台売ってやっと月商150万円で2年前と同じになりますが、当然、労力は増えます。家電屋さんにとっては以前は100台売る労力で生活が出来てましたが、2年後は同じ収入を得ようとすれば150台売らなければならなくなる、ということです。自分1人では人手が足りず従業員を雇わなければならなくなるかもしれません。そうすると人件費がかさみます。ここでリスクを取って従業員を増やす家電屋さんとそうしない家電屋さんに分かれます。後者は商売を縮小しその多くは廃業して行くでしょう。リスクを取った前者の多くはリスクを吸収し切れず倒れます。一部の勝ち残った家電屋さんが大型量販店に成長します。今の日本を、極めて単純なモデルで表すとこうなります。
もし生産の効率化に連動した貨幣価値の操作が成功していればどうなったか?
駅前の家電屋さんは2年後も変わらず1ヶ月100台の製品を売って月商150万円を維持してます。もしかしたら製品の認知度が上がり普及が進んで1ヵ月に110台くらい売れて月商165万円になって、以前より暮しが楽になっているかもしれません。駅前商店街も以前と変わらず賑わっているでしょう。何となく穏やかで優しい風景が見えてくるような気がします。
こうして書きながらも正直言ってまだ頭が混乱してます。自分でも詭弁を弄してるような気がしないでもありません。
ところで反論はどうしたのでしょう?話が長くなり過ぎて力尽きました。やっぱり私の知識では無理です。もっと勉強しないと・・・。
2012年03月12日
「略奪大国」ジェームス・スキナー
センセーショナルなタイトルに、胡散臭そうな著者の経歴、出版元が「フォレスト出版」と3拍子揃った本です。
日本が破綻すると警鐘を鳴らす著作がここ10年来巷に溢れてますが、昨日、彼岸の墓参りの帰りに書店により、タイトルの本を手にとって見たのですが、国債をネズミ講に例える件に興味を引かれ思わず買ってしまいました。
その内容は、私が普段このブログで書いてきたことと真っ向から対立するものでした。
著者は、資本主義・自由主義を礼賛しています。ミルトン・フリードマンの新自由主義信奉者です。したがって対立する経済思想ケインズ主義を否定しています。
論理の展開は確かにスリリングで興味深かったです。なるほど、とうなずく部分もたくさんありました。例えば
「中央銀行の役割はインフレもデフレも起さぬようマネー価値を一定に保つことである」
「国民総生産ではなく、国民消費可能国内総生産という概念で考える」
「世界大恐慌は、資本主義の失敗ではなく、正しい資本主義を機能させなかったことによる失敗である」
「銀行は本業に徹せよ、デリバティヴ、レバレッジを禁止せよ」
などなど、珠玉の提言に満ちていました。最後の提言は、虚構マネーを撲滅し、実体経済に有能な人材を向けよという意味で、私も大賛成です。また、中央銀行の機能について書かれていたことは、私が長年疑問をもっていたことに対するヒントをもらったような気がします。
私は、資本主義の暴走は危険である、という立場で、政府は大きな力を持ち、ある程度の統制力を持つべきだ、と考えてきました。そのためには高い税金もやむなし、とも思っていました。
この本を読んで、それって私のホンネだったのかな、と自問してみました。
正直言って、企業経営をやっていると国家の矛盾を嫌と言うほど感じます。私はそれはルールだから仕方ない、と思って今まではやってきましたが、もし、ジェームス・スキナー氏の主張する正しい資本主義の世界が実現するとしたら、それは素晴らしい、思います。経営者として重荷が取り払われ、気分も軽く、屋根の上からすうーっと青空へ飛び立てそうな気がします。
とは言え、やはり反論はあります。まあ、米国に都合が良すぎる主張が一部飛び出すことはご愛嬌として、日本国破綻について、本質的な部分で論調に無理がある、と感じました。しかし、どこまで反論できるか、今の私の知識ではあまり自信がありません。長くなりますので、反論は次回、書きます。
日本が破綻すると警鐘を鳴らす著作がここ10年来巷に溢れてますが、昨日、彼岸の墓参りの帰りに書店により、タイトルの本を手にとって見たのですが、国債をネズミ講に例える件に興味を引かれ思わず買ってしまいました。
その内容は、私が普段このブログで書いてきたことと真っ向から対立するものでした。
著者は、資本主義・自由主義を礼賛しています。ミルトン・フリードマンの新自由主義信奉者です。したがって対立する経済思想ケインズ主義を否定しています。
論理の展開は確かにスリリングで興味深かったです。なるほど、とうなずく部分もたくさんありました。例えば
「中央銀行の役割はインフレもデフレも起さぬようマネー価値を一定に保つことである」
「国民総生産ではなく、国民消費可能国内総生産という概念で考える」
「世界大恐慌は、資本主義の失敗ではなく、正しい資本主義を機能させなかったことによる失敗である」
「銀行は本業に徹せよ、デリバティヴ、レバレッジを禁止せよ」
などなど、珠玉の提言に満ちていました。最後の提言は、虚構マネーを撲滅し、実体経済に有能な人材を向けよという意味で、私も大賛成です。また、中央銀行の機能について書かれていたことは、私が長年疑問をもっていたことに対するヒントをもらったような気がします。
私は、資本主義の暴走は危険である、という立場で、政府は大きな力を持ち、ある程度の統制力を持つべきだ、と考えてきました。そのためには高い税金もやむなし、とも思っていました。
この本を読んで、それって私のホンネだったのかな、と自問してみました。
正直言って、企業経営をやっていると国家の矛盾を嫌と言うほど感じます。私はそれはルールだから仕方ない、と思って今まではやってきましたが、もし、ジェームス・スキナー氏の主張する正しい資本主義の世界が実現するとしたら、それは素晴らしい、思います。経営者として重荷が取り払われ、気分も軽く、屋根の上からすうーっと青空へ飛び立てそうな気がします。
とは言え、やはり反論はあります。まあ、米国に都合が良すぎる主張が一部飛び出すことはご愛嬌として、日本国破綻について、本質的な部分で論調に無理がある、と感じました。しかし、どこまで反論できるか、今の私の知識ではあまり自信がありません。長くなりますので、反論は次回、書きます。
2012年03月10日
NHKニュース9・高村薫さんのコメントについて
棟瓦の耐震補強方法について新案がひらめきました。数時間前、絶壁のような屋根をよじ登り、用意してきたアングルピースをポケットから取り出してあれこれ思案していたら、突然、天から妙案が降ってきました。たった今図面を起こし金物の製作会社にFAXしました。うまく行けば、棟瓦の耐震補強が大幅に省力化でき、かつ廉価で施工できます。おそらく誰も思いついていない案と思います。実に心憎い、というかまさに妙案という言い方がピッタリの案です。したがってちょっとゴキゲンです。
私の場合、屋根にへばりついて、ポケットから何やら取り出す、というシチェーションが日常的にけっこうあるのですが、この時、あるアニメ映画の一場面が脳裏に浮かびます。ルパン3世の「カリオストロの城」で、ルパンがクラリスを救いに城に忍び込む場面です。
ルパンが急勾配の屋根をよじ登って、ポケットから7つ道具のひとつを取り出すのですが、うっかり取り落としてしまい、それを拾いに屋根の上を駆け回るシーン、有名な映画なのでご記憶の方も多いと思います。
私もポケットに色んなモノが入っており(財布、手帳、筆記用具、ミニスケール、ミニ電卓、方位磁石・・・)、屋根の上で考え事をしながらついつい下に落っことします。ルパンと違い、やれやれとため息をつきながら拾いに行きます。
さて、タイトルの話に入ります。
昨夜のNHKニュース9で、大越キャスターが作家の高村薫氏に大震災についてインタビューしてました。
高村薫さんの時事問題に関する発言にはいつも共感する部分が多いです。以前、アエラでも毎週書いておられましたが、いつも興味深く読んでました。鋭い視点と明快な論理は、数多い時事評論の中でも一際抜きん出ていると思います。
その高村氏が昨日のインタビューでは、どこか歯切れが悪かったです。原因は、慎重に言葉を選んでいたため、と私は感じました。
つまり、それだけナーバスな問題について、ナーバスに為らざるを得ない(今の日本においては)発言をしなければならなかったのだろうと思います。
高村氏が言いたかったことは、「震災を言葉で残す」という曖昧な言葉ではなかった、と思います。大越君、体裁の良い部分を選んでお茶を濁したのではないですか?
あくまで私の感想ですが、高村氏がもっとも言いたかった言葉は「失うものは失い、残すものは残す、という判断」と「出来ないことは出来ない、と現実を受け入れること」のふたつではないですか?どうでしょう、大越君。
NHKのゴールデン・タイムで、これほど勇気ある発言をした方がいたでしょうか?さすがに高村氏も固有の名称は出しませんでしたが、あれだけ聡明な方が、あれだけ言葉を選んで発言しなければ、正論や真実が言えないことに私は苛立ちを禁じ得ませんでした。
でもさすがです。高村薫さんは立派です。大越君、立場は分るが、もっとがんばれ。
ちなみに、作家・高村薫では「地を這う虫」がいちばん好きで、後は、「リヴィエラを撃て」でしょうか。でもリヴィエラはラストがちょっと・・・。
私の場合、屋根にへばりついて、ポケットから何やら取り出す、というシチェーションが日常的にけっこうあるのですが、この時、あるアニメ映画の一場面が脳裏に浮かびます。ルパン3世の「カリオストロの城」で、ルパンがクラリスを救いに城に忍び込む場面です。
ルパンが急勾配の屋根をよじ登って、ポケットから7つ道具のひとつを取り出すのですが、うっかり取り落としてしまい、それを拾いに屋根の上を駆け回るシーン、有名な映画なのでご記憶の方も多いと思います。
私もポケットに色んなモノが入っており(財布、手帳、筆記用具、ミニスケール、ミニ電卓、方位磁石・・・)、屋根の上で考え事をしながらついつい下に落っことします。ルパンと違い、やれやれとため息をつきながら拾いに行きます。
さて、タイトルの話に入ります。
昨夜のNHKニュース9で、大越キャスターが作家の高村薫氏に大震災についてインタビューしてました。
高村薫さんの時事問題に関する発言にはいつも共感する部分が多いです。以前、アエラでも毎週書いておられましたが、いつも興味深く読んでました。鋭い視点と明快な論理は、数多い時事評論の中でも一際抜きん出ていると思います。
その高村氏が昨日のインタビューでは、どこか歯切れが悪かったです。原因は、慎重に言葉を選んでいたため、と私は感じました。
つまり、それだけナーバスな問題について、ナーバスに為らざるを得ない(今の日本においては)発言をしなければならなかったのだろうと思います。
高村氏が言いたかったことは、「震災を言葉で残す」という曖昧な言葉ではなかった、と思います。大越君、体裁の良い部分を選んでお茶を濁したのではないですか?
あくまで私の感想ですが、高村氏がもっとも言いたかった言葉は「失うものは失い、残すものは残す、という判断」と「出来ないことは出来ない、と現実を受け入れること」のふたつではないですか?どうでしょう、大越君。
NHKのゴールデン・タイムで、これほど勇気ある発言をした方がいたでしょうか?さすがに高村氏も固有の名称は出しませんでしたが、あれだけ聡明な方が、あれだけ言葉を選んで発言しなければ、正論や真実が言えないことに私は苛立ちを禁じ得ませんでした。
でもさすがです。高村薫さんは立派です。大越君、立場は分るが、もっとがんばれ。
ちなみに、作家・高村薫では「地を這う虫」がいちばん好きで、後は、「リヴィエラを撃て」でしょうか。でもリヴィエラはラストがちょっと・・・。
