2012年01月23日

小さなイノベーション

 正月にやっていた若手論客による討論番組で、印象に残ったことをもうひとつ。
 駒沢大学で教授をやっている方の話ですが、私も日頃モヤモヤとして言葉に出来なかったことをズバリ言ってくれて、とても爽快でした。
 イノベーションについての話です。
 教授曰く、
 「イノベーションと言うと、皆、ジョブズのような大きなことを考えてしまうけど、それを私はプロジェクトX症候群と言っている。実は、小さなイノベーションがそれぞれの企業で毎日のように発案、実行されており、その積み重ねが国家として見ればGDPの2%程度の成長率となっている」
 例えば、ファイルの整理の仕方をちょっと工夫して、作業効率が上がった、というような地味な努力が実は大切、ということです。
 大いに共感します。まさにその通りと思います。
 実は、私、小さなイノベーションを考え、実行することが大好きで、そこにとても生きがいを感じています。
 当社の施工マニュアリングや耐震棟の特許工法は、まさにその結果出来たものです。マニュアリングはしばらく更新してませんが、4月には更新版を出す予定です。
 そのような地味ながら幸せな日々を送っているまるでブータン国民のような私の心に、ときおり、さざなみを立てるのが、いわゆる「やり手」の経営者の皆さんの派手な活動です。たまにマス・メディアにも登場したりします。
 今の時代、マス・メディアに登場したから、と言って、すぐさま人物なり事業の信用に繋がることはないと思いますが、やはりその影響力は大きいでしょう。
 一般人にとって、マス・メディアに取り上げられる、ということは大きな出来事なのでしょうが、逆にメディアの立場からすると、なんと表現すれば良いか難しいですが、まあ、たまたま、というか軽い気持ちで取り上げている部分がかなりあります。第一、彼らはオン・エアなり、校了なり絶対的な期限の中で仕事をしてますから、とにかく媒体(時間とスペース)を埋める為、必死でソースを探してます。何班かに分かれローテーションを組んでやっているとは言え、真実、ホンモノ、新奇と大衆受けするソースがいつも手に入る訳ではありません。そんなネタ探しの日々が延々と続くのですからホント、気が遠くなる世界だと思います。結果、やらせやニセモノが横行します。私は、社会人になって間もなく、TVを視聴する時間が大幅に減り(家に帰れなくなったためもある)、週刊誌を買うのを止めました。
 零細企業の経営者の中でも、大きなイノベーションを夢見て、日々努力している方々が多いです。しかし、中にはあまりに偏った方向に走っている方も見受けられ、実はマスコミ受けが良いのがこういうタイプです。
 良く言われることですが、「成功はその人に固有のものだが、失敗は万人に共通する」。したがって成功者の話を有難がって聴くよりも、失敗した人の話を聴くほうが意味があります。
 また、大きなイノベーションで成功する率は、何%か、と発想してみる。統計はありませんが、多分、天文学的に低い数字?になるでしょう。おそらく、私が、来年、東京大学の文1を受験して合格する確率よりも低い、と思います。
 結論。日々、地道にコツコツ、小さな改革を積み重ねて行くのが成功への近道であり、人類の平和へ繋がる道でもあるのでしょう。
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2012年01月21日

自社職人を抱えることの意義

 昨年12月6日に書いた記事「10年後、現場で働く人間は残っているか」で、最近の建設業界では自社職人を抱えない会社が増えている、と書きました。今日は、そのことで生じる問題点について掘り下げてみたいと思います。精神論、キレイごとを書く気はありません。どこまでも実利的な話をします。
 その前に、基本的な業界の構造について。
 ハウスメーカーや工務店、いわゆる元請会社に家づくりを頼むと、基礎工事から大工、外装、内装、水道・電気設備に至るまで、その会社の同じ職人さんが全てやっている、という誤解が案外多いものです。
 そういう私も16年前、郷里に戻り、この仕事に関わった時は、建築に関わる工事の区分け、つまりどんな工種があって、それがどのように組み上がってくるかが分かっていませんでした。
 もっとも、34歳の社会人経験を積んだ人間だったので、それまで生きてきた広告業界の構造と照らして、すぐに理解はできました。

 広告代理店=元請会社(ハウスメーカー、工務店) 
 広告制作会社、印刷所、編集所=専門工事店
 プロデューサー・ディレクター=建築士、現場監理員
 デザイナー、コピーライター、イラストレーター
 カメラマン、印刷、編集等の各専門職=基礎、木工事、屋根、水道、電気、内装等の各専門職

 というような感じでしょうか。広告業界も建築業界も基本的にオーダー・メイドという共通点があり、システム的には意外と似た業界かもしれません。蛇足ですが、最大の相違点は、広告業界は制作したものが、世に出て間もなく消え去ってしまう宿命なのし対し、建築業界は仕事の結果が何十年単位で残ることです。虚業と実業の違い、と言ってしまったら広告業界から怒られてしまうでしょうか?

 前置きが長くなってしまいました。本題に戻ります。
 建築業界におけるもっとも大きな問題は、自社職人を抱えない元請会社の乱立がある、と考えます。これは施工品質に大きく関わってきます。
 現場では多かれ少なかれ想定外の事態が発生します。そのリカバリーには当然経費が発生します。
 外注職人の場合、その手間賃はほとんど坪幾らといった数量単位で決められています。当然、余計なことに労力を使いたがりませんから、想定外のことが発生しても他人事としかとらえません。賃金を払う方も、これをやってくれたら追加で幾ら払う、といったような細かい管理は、現実問題として不可能です。したがって問題が放置されたまま現場が進行しがちになります。このような大小の問題が積み重なって住宅が完成します。良い家が出来るわけがありません。
 逆に、自社職人(大工さん)を抱えている工務店ではどうか?基本的に業者同士も顔見知りですから、「ここどうすっぺ〜」と気楽に棟梁さんに声を掛けます。そこで大工さん側にその対応のため追加で何か作業が発生しても、社員である大工さんは月給で貰ってますから、手間がかかってもその分、自動的に会社が持ってくれます。よって「わがった、こうせばいいんだな。やっといてやっからよ」と気持ちよく対応してくれます。
 現場では日々このように誰かが追加で手を加えなければならないことが発生します。その部分をカバーしてくれるのが、多くの場合、元請会社の社員職人さんたちです。
 ちなみに当社の場合。職人は、全員正社員です。月給制で社会保険等福利厚生完備です。現場で、ちょっとここはまずい、やり直し、となっても、こちらが正しい指摘をしているのであれば職人は気持ちよくやり直しします。その分のロスは会社が負担します。以前は私も、これは職人に対する甘やかしではないか、と悩んだ時期もありましたが、今は割り切ってます。それよりもそのようなミス、考え違いがおこらないよう日日、研鑽することです。また、ダメ工事を指摘するのはただでさえ嫌なものなので、監理者の精神的負担も考慮しなければなりません。やり直してもその間の賃金はちゃんと払う、ということであれば、監理者も職人に率直に言い易い。ミスが放置されることを防ぐ、大事なのはその1点です。加えて健全な人間関係の維持。マネジメントの観点からも、自社職人体制は合理的と思います。私も過去何度か、自社職人を抱えていて良かった、と心から思ったことがありました。
 話は戻って、逆に全て外注で回している会社は、この対極にあります。つまり、ミスの放置が続出、その指摘をキチンとすれば、追加手間賃の問題の発生、そこでもめれば人間関係の問題が発生します。結果、現場はギスギスし、殺伐とした空気が漂い始めます。私も、過去、そのような現場を経験しましたが、結局そのような会社と当社は水が合わないみたいで、関係は長続きしませんでした。逆に、そういう会社とばかり相性の良い工事店もあり、不思議に思って見てます。同じ考えだから気が合うのか、相当我慢しているかのどちらかでしょう。
 最後に、書き添えておきますが、本当の大手一流のハウスメーカーで、全て外注工事店を使いながら、こういった問題を相当レベルでクリアしている会社があります。建物の設計、部材開発の段階での完成度が高く、現場での不測の事態が発生し難い、外注業者会の結束が強く、現場での意志疎通が良好であるためと思います。私も、その会社からは多くを学ばせて貰い、当社にとっては長いお付き合いが続いている数少ない大手ハウスメーカーです。
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2012年01月14日

ユーロ債格下げを嘆く

 今朝のニュース、スタンダード&プアーズがユーロ債を格下げしたとのこと。
 世界は、今後マネーゲームの規制を行わないと本当にヤバイことになる、とあらためて感じました。
 投資ではなく投機、実体ではなく虚構が世界中を横行してます。
 元々、経済の必要性、安定性のため、実体経済を支えるために開発されたはずの高度な金融手法が、まったくその意図から離れ、単なる投機的金儲けの道具にされてます。嘆かわしいことです。
 以前にも書きましたが、実体経済だけを見れば、ユーロ危機はそれほど拡大しないはずです。
 問題は、20〜30年前が実体マネーが90%に対して虚構マネー10%だった世界経済が、ここ数年で逆転、実体マネー10%に対し、90%まで膨れ上がった莫大な虚構マネーがやれデリバティヴだやれレバレッジだ、と恥知らずな大暴れをしている点です。
 真に知的な識者集団は、市場に冷静に対応するよう言い聞かせているのですが、この暴力の前では為す術もない状況です。
 そんなにお金を儲けてどうしようというのでしょう。何も生産しない空しいゼロ・サム・ゲームの勝者になって何がうれしいのでしょう?その結果、世界が大混乱に陥り、多くの人が不幸になっても、何の良心の呵責もないのでしょうか?
 健全な世界を築くためには、これ以上金融工学の悪用を許してはいけません。規制をかける方法は必ずあるはずです。
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2012年01月12日

逃亡生活のススメ

 オウムの平田容疑者が出頭しました。16年だか17年におよぶ長い逃亡生活でした。
 皆さんは、逃亡者になったことがありますか?逃亡生活を経験したことはありますか?
 告白しますが、私は、あります。僅か1週間ではありますが。
 逃亡者の視点で世間を見渡すと、それまでとはぜんぜん違って見えてきます。
 逃亡者は世間と絶縁しますから、まずアイデンティティというやつを失います。
 このアイデンティティを失う経験は、出来ればみんな人生で一度は経験すべきと思います。
 似たような境遇は、失業した時に経験します。逃亡者はそれに加えて、居場所がなくなり、本名を名乗れなくなり、国家権力(警察)から逃げ回らなければならなくなった状況です。
 私の場合は、別に犯罪を犯した訳ではなかったので、警察に追われることはなかったのですが(待てよ、捜索願を出されれば追われるハメになったのかな?)、何れ、世間から身を隠す日々というのがどういうものなのか、経験したものでなければ分かりません。
 当時は独身でした。短い期間ではありますが、転々として夜を明かしました。接触できるのは、自分の境遇を分かって、口を閉ざしてくれるだろう人たちだけですから、極めて限られてきます。その数日間は自分で言うのも何ですが、非常にドラマティックな日々ではありました。
 1週間後に孤独に耐えかね、知人のある陶芸家の家を訪ねました。その方も当時、独身で1人暮らしでした。
 日も落ちた頃、玄関を開け、奥に人の気配がしたので声を掛けました。
 おそらく私が失踪した話はその方の耳にも入っていると思ったので、どういう対応をされるか、正直言って想像がつきませんでした。
 「は〜い、ちょっと待ってて」と奥くからその方、Kさんの返事が聞こえました。いつもと変わらぬ穏やかな声だったので、失踪の件、聴いてないのかな、と思ったのと、その声があまりに日常的だったのに妙にほっとした気分になったのを覚えてます。
 しばらくしてKさんがやってきましたが、第1声は「そろそろ来る頃だろう、と思ってたよ」
 まず、腹減ったろう、飯でも食おう、となり近所の食堂に行って、晩飯をおごってもらいました。
 店を出た時、「貴重な経験だろ、逃亡生活なんて誰でも経験できるものじゃない」とKさんは言いました。本当にそうだ、心底私は思いました。
 その日から、Kさんの仕事を手伝って2日が過ぎ、3日目に私は、自分の意志で家に帰りました。その間、Kさんは一言も帰るよう説得はしませんでした。ただ、自分のところに居ることだけは、家に連絡を入れなさい、とだけ言いました。
 物心ついた頃から、人は社会に参加してます。家庭、幼稚園、小学校から高校、大学、そして就職。つまり常に、自分の所属、肩書きがある人生、それが普通です。そして、その普通しか知らない人生というのは、逃亡経験者から言えば、人生の奥行きを知らない生き方に見えます。
 人は、誰でも一度、肩書き、所属を失い、自分の身ひとつになる経験をしてみてもいいんじゃないか、と私は思ってます。
 それにしても、あの時のKさんは本当にカッコ良かったです。私も知人が逃亡して身を寄せて来た時には、Kさんを見習って、対応したいと思います。
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2012年01月11日

震災から10ヶ月が過ぎて

 震災からちょうど10ヶ月が過ぎました。
 今日は大船渡の現場に行ってきました。新築が2現場進行中です。
 45号線を走りましたが、天気も良く、遠野に比べて気温も高く、別世界でした。寒いには寒いのでしょうが、遠野の痛いような寒さに比べれば、現場にいてもはるかに楽です。
 海もとても穏やかでした。この海が、多くのものを呑み込んで、奪い去ったなんて、映像で見ても、目の前で瓦礫を見ても、今だ実感できません。
 岩手県内の土木・建築業界はたいへん忙しい状況です。宮城県は、その数倍忙しいようです。震災、津波で命を奪われた方々のことを思うと複雑な心境です。皆さんから忙しいでしょう、たいへんでしょう、と声をかけられるのですが、浮かない顔でうなずくしかありません。
 実際、心は晴れません。
 業界内からは嘆かわしい話も聴こえてきます。複数の関係者が同じことを言っているので間違いないでしょう。
 9月以降、郡山、埼玉は実際に出向いて話を聴きましたし、北関東の状況は、信頼できる筋からの話ですから事実だと思うので書きます。
 屋根の修理工事をとんでもない高値をふっかけてやっている工事店が続出している、という話です。
 お客様の中から、もう2度と瓦なんか葺かない、という声が出ている、とか、瓦工事業界自体が、とんでもない業界と言われている、など聴いていて怒りが込み上げてきました。
 「そんなことをしたら、将来自分の首を絞めることになるでしょ」と私が言えば、話をしてくれた方々は「そういうことをする業者は、この1〜2年でガッポリ稼いで、あとは廃業する気でしょう」と口を揃えて言ってました。各地でそれぞれ聞いたのですが、まったく交流のない方々3人が3人とも全く同じことを言ってました。これは明らかに噂話の域を超えてます。
 ここ数年の不況は、我々工事業者にとってあまりに辛い試練でした。ほとんどの工事会社は売上は15年前に比べれば、5〜7割減ってます。つまり良かった頃の半分から僅か3割くらいしか売上がなくなっている会社がほとんどなのです。加えて粗利率も低下しているのですから、どれだけ経営が苦しかったかは容易に想像できると思います。そんな中で、多くの経営者の心がすさんできたのも正直言って理解できます。今、そのことに対するまるでアテツケのように、高値ふっかけが横行しているように私には見えます。
 どれだけ、仕事を依頼されても、当社は当社の職人14名で精一杯やってこなせる量が限界です。私は、自分たちが請けた仕事を安易に外注するような会社にはしたくありません。見積もりも適正金額を出します。
 昨年の6月に書いたこのブログの記事『これからの「正義」の話をします』で表明した考えを私は変えておりません。
 
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2012年01月10日

若手論客の討論番組を見て

 先日、NHK教育TVで若手の大学教授、起業家等10名くらいが集まって、社会情勢についての討論番組をやってましたね。1970年以降に生れた皆さんが出演してました。実に弁舌なめらか、才気溢れる皆さんでした。
 私も昨年50歳になってしまいました。個人差もあるでしょうが、30代後半から40代というのが、いちばん有能に動ける年代だと思います。歳を取ると経験知は確かに豊になるでしょうが、瑞々しい感性、柔軟性、多角的なものの見方、体力、根気などどれをとっても若い頃と比べて劣ってきます。また、変な気負いというか、つまりいい歳してアホなことは言えない、出来ない、といった体裁にこだわってしまうこととか、ついつい守りに入ってしまい挑戦することから逃げてしまったり、時には若いヤツに負けてられるか、と必要以上に意地になってみたり・・・、総じて歳を取って良いことはあまりないです。世代交代は早めにやった方が良いと思います。特に政治の世界はそうですね。60代や下手すると70代が国を動かしているのですから、困ったものです。40代を中心に、50代で気力の充実した人間と30代の世代を代表する卓越した人間で政治が出来れば、この国はもっともっと良くなっていくでしょう。
 討論を聞いていて気になったのは社会保障問題、つまり年金に対する意見です。番組の中では、2つの意見が対立していました。
 ひとつは、国の借金、税収不足、それによる年金不安の解消のために考えるべきことは、ただひとつ、経済成長をいかに成し遂げるかだけだ、とする意見です。私が昨年来このブログでも繰り返し述べている主張に近い考えです。
 もうひとつは、経済成長前提の現システム(OSなどど表現するあたりが若者だなあ、と感じました)がすでに破綻しているのだから、経済成長しなくても持続可能なシステムに切り替えるべきだ、とする主張です。具体的に言うと、例えば年金に関しては、現状の仕送り制、つまり現役世代から徴収したお金で、今現在の老人世代を支える形はすでに破綻しているのだから、この際その制度は捨てて、自分が将来もらうべき年金は、自分で積み立てていくべき、という論になります。民間の保険会社の保険商品で個人年金というのがありますが、それを国がやってくれ、ということですね。どこかの大学の若手教授がこの説を主張し、オーディエンスの支持をいちばん集めてました。
 不思議に思ったのが、あれだけの論客がいながら、誰もこの若手教授の説に反論しなかったことです。
 この説の欠陥は、インフレが起こった場合のリスクを考慮していない点です。
 大切な年金の為の積立金ですから、ハイリスクな運用は出来ません。もし、キツメのインフレが起こった場合、それまでの貯金の価値が目減りするように、年金額も目減りします。
 現状の仕送り制の優れた点はここにあります。その時徴収したお金を財源として年金を給付しますから、どんなインフレが起ころうと、貰える年金の価値は、その時の物価変動にある程度対応したものとなります。過去ブログで、厚生年金について書いた記事があり、そこでも書きましたが、このようなインフレ対応の年金制度は国の年金以外存在しません。
 また、気になったのは、現状の年金制度では、1961年生まれ以降は大幅に損をする、特に、今、10代、20代の若者は1500万から3000万くらい払った年金と貰える年金に差が出る、という主張がなされていましたが(ゴメンナサイ、数字はうろ覚えです)、その数字の根拠がよく分からなかった。年金を払っていない若者が増えているようですが、そういう人は将来自分も年金を受給する資格がないのだから、完全に年金問題の外側にいます。年金問題はあくまで、年金をキチンと納めている人と、年金の受給資格がある人という一定の集団の中だけで考えれば良い問題です。年金を納めない人が増えて財源不足になるなら、消費税を上げて、その不足分を充当しよう、と野田総理は考えているわけです。そして将来は、老人の中でも年金の受給資格がない人が増えますから(若い時に年金の納めていなかった人が増えた為)、ひょっとしたら年金の財源は余裕ができているかも知れません。
 国を信じよう、と言えば聴こえは良いですが、別な言い方をすれば、国家権力の恐さを知ろう、という表現になります。国家の力の前では個人はあまりに非力です。年金を払う、払わないの選択は、その強大な力を味方にするか、敵にするのか、の選択と言って良いでしょう。
 こう書きながら、一方でやはり私も歳を取ったなと思います。
 今、必要とされている人材とは、それでも国になんか頼らないで生きてやる、と言い切れる強い人間なのかも知れません。それが若さなのでしょう。失われたものの大切さを痛感する今日この頃です。
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2012年01月07日

穏やかな年始です

 2012年がスタートしました。
 と、書き出して、いきなり昨年の話をします。最初に断っておきますが、ほとんどどうでもいい話なので、忙しい皆様におかれましては読まない方が良いと思います。
 年末の日曜に髪を切った直後に発熱。翌朝の会社の朝礼と朝ミーティング後にダウン。早くも戦線離脱。年末の最低限やって置かなければならないことは済んでいたのでまだ良かったのですが、医者から貰った薬を全て飲み終えても微熱が引かず、31日に当番医のN医院に行って「微熱が引かない、結核ではないですか」「くしゃみが止らないところを見ると、風邪ではなく何かのアレルギーでは?」とやったものだから(いちばん医者から嫌われるタイプ)、案の定「君ねえ〜」とN医師にたしなめられ、仕舞いに「長く薬を飲み続けているので、胃腸薬も・・・」と口を滑らせてしまい、「まっそれは今回処方する薬を飲んでみてから決めまショ」と話をシャットダウンされ、診療室を後にしました。
 その後も微熱が引いたり出たりを繰り返し、ただ体調は少しづつ良くなり、正月2日から馴染みの温泉民宿で2泊3日の湯治。実によく眠れました。この宿の風呂は、湯に浸かると湯船の縁をかけ流しのお湯がなめらかに溢れていきます。いつも湯の中で存分に身体を伸ばし、ゆっくりと何度も首を回して全身をほぐしていきます。
 部屋に戻り、花輪莞爾の「悪夢百一夜」。とんでもなく分厚い本ですが、この本の正しい読み方(読む体勢といった方が合ってる)は、まず、畳の上にマットと布団を敷き、枕を布団の上でなく畳の上に置いて、布団にうつぶせになって、顎を枕にのせます(分かります?)。本は直接畳の上に置くと、目と本の距離がちょうど良くなります。この時、両手の掌を顎の下に敷き、本との距離の微調整をします。すっと伸びた背骨が若干反り返りますが、まずまず楽な体勢と言えるでしょう。家ではベッドなのでこの体勢が取れません。
 そうしてしばらく至福の時を味わいました。花輪莞爾はやはり天才です。
 休みの最終日にN医院の薬も飲み尽くしました。体調は、と言うとちょっと?気味。
 昨日が仕事始めて、年始の安全祈願、年始まわりをしてる間に、やっと普通の人間に戻れました。夜はいつものヨガ。
 おかげさまで今日は快調です。発熱の後って全身の体液が入れ替わった様な気がして、不思議な爽快感があります。
 以上、どうでも良い話を終わります。最後まで読んでくれた方にはたいへん申し訳なく思います。今年もよろしくお願いいたします。
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2011年12月24日

盛岡・五番館の記憶再び

 今日はクリスマス・イヴ。冬至も過ぎ、これからは毎日、少しずつ日が長くなっていきます。春が確実に近づいてくるのが日々実感できます。
 今夜は、カミさんは盛岡で女子会です。友人たちは40歳代の独身キャリア・ウーマンが多いので、女だけで忘年会だそうです。私は、とても理解のある夫なのでイヴの夜に放っておかれてもまったく気になりません。夕食後、どの小説を紐解こうか、と今から楽しみです。
 
 今朝、3ヶ月以上前に書いたブログにコメントをいただきました。今は無き「五番館」という喫茶店について書いた記事です。うれしくて、カミさんにも知らせました。「マスター、今もこんな風に自分のことが話題になっているなんて、思ってもみないよネ」と言ってました。

 その方の書きこみにあった「西陽」「煙草の煙」という言葉が、強烈に記憶を喚起しました。あの店内で過ごした、四季折々の思い出が甦ります。そう言えば、私もあの頃は煙草を吸ってました。

 慌しすぎる年の瀬、五番館の思い出が、ひとときほっとさせてくれました。
 多くのことをやり残して、2011年が終わろうとしています。

 今宵、皆様に、素敵なイヴが訪れますように。
posted by walker at 18:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 喫茶・カフェなど

2011年12月09日

日本の本当の税率は幾らか?

 日が短いです。昼ごはんを食べ終わるともう夕暮れという感じです。現場回りに出ると、明るいうちに帰ってこれません。冬至が待ち遠しいです。
 さて、今日は久しぶりに税金について書きます。
 以前から疑問に思っているのですが、日本の税率って、他の先進国と比較し、高いんでしょうか、低いんでしょうか?
 会社経営者は皆感じているのですが、社会保険料(健康保険+厚生年金)だけで、会社負担分まで入れると、実質、人件費(会社が負担している実質のお給料)の約25%になります。その他に、所得税、住民税が取られます。さらに、金額的には多くありませんが、雇用保険料だって実質税金みたいなものです。
 年収や扶養者の有無によっても違いますが、おおよそ会社が人件費として見ている金額の30から35%は源泉徴収される、と考えて良いでしょう。サラリーマンにとってはこれが実質の税金です。
 加えて、消費税があります。現在5%です。収入の1割を貯金、9割を消費活動に回している人であれば、手取り金額の4.5%が税金で取られます。もし10%になれば、税率は手取りの9%です。
 その他、車、ガソリン、タバコやお酒といった嗜好品にかけられている税金を考えれば、実質的な税負担率はおおざっぱに言って平均40から45%程度ではないでしょうか?消費税が10%になれば、これが約45から50%になります。
 どうでしょう?思ったより税率って高いんだな、と思う人が多いのではないでしょうか。特に納税のほとんどを源泉徴収されているサラリーマンの方々。
 この「いっぱい税金取られている!」という感覚、認識がとても大切だと思います。これを機に、人は本当の意味で(観念的ではなく、という意味)政治に参加します。そして大人になります。今、永田町にいる人たちはモラトリアム状態(自分で稼いだお金で税金を払った経験がない)から政治家になった人が多く、したがって、どこか観念的であり、現実の問題を解決する能力に乏しい、と言わざるを得ません。
 いっそ、源泉徴収をやめてしまって、皆で確定申告に行きましょう。そもそも、なぜ、納税の為の作業する人件費を民間企業が負担しなければならないのか、納得がいきません。国民が等しく、どれだけ自分が税金を払っているかキッチリ自覚しましょう。実は、源泉徴収という制度は、国民の税負担に関する意識を希薄化させ、それによって政治的無関心を作り出すシステムに他なりません。

 さて、では45から50%という税率について、どうとらえるべきでしょうか?
 日本国民として、国から人権、生命、財産を守ってもらい、ライフラインの供給を受け、老後(60歳以降)の生活を保障してもらえるのであれば、けっして高い税率とは言えないでしょう。たとえ、消費税が10%になって税の負担率が実質50%になろうとも。
 最大の問題は、医療体制と老後の保障、すなわち社会保障制度の信頼性にあります。
 その意味で、「社会保障と税の一体改革」には注目しています。
 社会保障の財源には、すでに税金の一部が投入されてますが、今後、さらにその形を推し進めてゆくべきでしょう。また、厚生年金と公務員の共済年金の財源の垣根も、ぜひ取り払うべきです。公務員のみなさん、いろいろ言いたいことはあるでしょうが、自分たちだけ、安泰な老後を送っていても、周囲の老人たちが皆、不安で貧しい暮らしをしている中で、本当に心穏やかでいられますか?しかも、そのような国を作ったのは誰でもない、あなたたちなのですよ。正しく想像力を働かせ、よ〜く考えてみましょう。

 政治家は、政局ではなくちゃんと政治をやりましょう。自民党、情けないです。谷垣氏も石原氏も、自分らが国民からどのように見えているのか、まったく自己を客観視出来てません。対照的に、野田総理は言葉に魂がこもってきました。但し、財政再建とTPP参加表明という2大政策の行方を危惧します。
 今日はここまで。これから久しぶりにJCの現役メンバーと会います。
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2011年12月06日

10年後、現場で働く人間は残っているのか?

 先日の朝礼の持ち回りスピーチで、職人のEさん(60歳)が、こんな話をしました。
 「自分もこの会社にお世話になって7年だが、その間に若手がどんどん成長してきた。KもTも(当社の若手二人)も立派な職人になり、今では時折オーラさえ感じる。こうして皆をみていると、ほんとうにすごい集団だな、と思う・・・」
 実は、Eさんは7年前、他の瓦工事店から当社に来た方でした。面接してほしい、と電話があった時は、正直、悩みました。ただ、電話での声の感じに惹かれるものがあり、お会いし、採用を決めました。今は、採用して本当に良かった、と思ってます。
 ところで、Eさんの言った「すごい集団」という表現は、私もその通りだ、と日頃から思ってました。
 当社は、現在現場で働く14名の職方がおります(監督員は除いて)。資格で言えば、ほとんどが1級技能士で、かつ皆、経験も豊富です。業界新聞を読んでいると、まるで和瓦が葺ける職人が特別なように書いてありますが、当社では当たり前のことです。全員が、よその会社に行けば、エース級の実力者と言えるでしょう。さらにそのうち2名は板金技能士の資格も併せ持っています。
 現在、当社は技能レベルで言えば、ピークにある、と言えるでしょう。
 自慢話をする気はありません。この事実に、逆に私が危機感を持っているからです。
 全員が、経験豊富な資格者である、ということは裏を返せば、若手、新人がいない、育たなかった、ということでもあります。
 今、当社に、若手の新人が入社した、とします。多分、続かないでしょう。それだけ、当社の職方の仕事はハードなものになってます。
 いつの間にか一番若いTという職人も29歳。したがってもうすぐ20代の働き手はいなくなります。
 あと10年たったら、どうなっているのでしょう。それまでに、どれだけ、次世代の働き手を、当社は育成できるのでしょうか?
 
 外に目を向けてみましょう。現在、建築業界は空前の人手不足です。理由はふたつ。
 ひとつは、言うまでもないことですが、ここ10年の不況です。多くの建設会社が倒産、廃業し、その下請けの専門工事店も、同様に倒産、廃業、大幅業務縮小となり、従業員も減りました。現場での働き手がこの10年で3割減ったと言われてます。残った7割を見ても、高齢化と技能レベルの低下は著しいでしょう。全体としての施工力は、4から5割近く落ちていると言って良いのではないでしょうか?
 ふたつ目の理由は、これも言うまでもなく、震災後の、復旧、復興工事が大量に発注されているためです。
 大手ハウスメーカーでも、日頃から職方を大切にしてこなかったところは、受注があっても、家が建たない状況です。先日、それまでまったく取引のなかった某大手から工事をやってほしい、と電話が入りました。勿論、お断りしました。今までお世話になったお客様の工事でも手が回らないところに、そのような依頼を受けられる訳がありません。倫理的に許されることではありません。

 この10年、大工さんなど職方を従業員として抱える工務店、専門工事店がどんどん少なくなってきました。代わりに増えたのが、営業と設計と施工監督員だけで会社を作り、イメージ先行、工事は全て外注というタイプのビルダーです。人間で言えば、口先と要領の良さだけが取り柄で、包容力も体力もまったく無い、まあ、女性の皆さんの立場で言えば、絶対に結婚しない方が良い男のタイプみたいな会社です。
 ところが、なぜかそういうタイプの方が現代ではモテるみたいで、悲しいかな、質実剛健、工事品質の最後の砦である専門工事店までもその業態を真似して、自社職人を抱えなくなってきました。職人たちは、1人親方として独立し、外注先という立場になりました。
 生活の安定も将来の保証もなくなった業界に、後継者が現れるはずもありません。

 建築業界は、今回の空前の人手不足を経験し、将来に向け、目を覚ますことができるのでしょうか?
 残念ながら、私は無理だと思ってます。
 「セキスイハイム」が「工場で家を作る」ことをセールス・ポイントにするTVCMを打ちました。画期的なCMでした。
 それまでは、現場における職人の腕前こそが住宅建築のセールス・ポイントでした。そのような信頼できる職人が、ますます廃れて行かざるを得ないのが日本の未来です。建物の品質を現場の働き手の能力にゆだねることが出来ない時代が、もうすぐ来ます。
 また、専門工事店における知的経営者も少なくなってきます。優秀な人材は、キツイ、儲からない、ハイ・リスクなこのような業界には誰も入ってこないでしょう。専門工事店のほとんどは当社も含め従業員数名〜20名程度の小さな会社です。その経営のために要する能力は、先見性、マネジメント力、財務知識、理系的なセンス・知識、営業力・・・と極めて多岐に渡ります。私くらいの世代(1961年生まれ)であれば、優秀な人間でも事情があって進学できなかった者がたくさんおりました。その中からも多くの優秀な経営者が出てきたでしょう。今後もそれが期待できるか?残念ながら現状を見る限り、非常に疑わしいです。
 あくまで家は腕前の良い職人に作ってもらいたい、というこだわりがある人たちは、今、つまり私くらいの年代が現役でいられる時が、最後のチャンスかも知れません。

posted by walker at 19:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 建築業界について