2012年03月30日

楽器と頭髪の関係

 前回、ギターの話を書きました。
 今、私はほとんどギターを手にしません。たまに弾いてみると、まず左手の指先の皮が痛くなってきます。右手はうまく弦をとらえられません。要するにすごく下手くそです。なぜこうなってしまったか?
 実を言うと、20代半ばくらいから意識的にギターを弾くことから遠ざかりました。理由は、頭髪の保護のためです。
 これから書くことは、医学的な根拠はまったくありません。あくまで私の実体験から思うことであります。

 学生の頃、レコード屋でギタリストのレコードを漁っていて、あることに気がつきました。
 ギタリストは頭髪が薄い人が多い、ということです。
 クラシック界からいけば、ナルシソ・イエペス、ジュリアン・ブリーム、ジョン・ウィリアムス、セゴビアだってそうだし、まあ、高名なギタリストはほとんど髪の毛がありません。白髪のギタリストっていたかな?と思います。
 ジャズ界でもジョー・パス、ジム・ホール共お見事。ウェス・モンゴメリーは薄くなる前に死んじゃったし、ロック・フュージョン界に目を向けてみてもリー・リトナーやラリー・カールトン、サンタナと皆さん心もとない感じでした。ロックのギタリストは若くしてお亡くなりになっている方が多いのでよく分りません。
 よって当時の私の結論は、「ギターは髪の毛に悪い」
 で、当時の私の髪は、パーマをかけていたせいもあり、人から薄いと言われることはなかったのですが、元々が癖毛で細い髪質であると自覚しており、頭髪の将来に関しては悲観的な思いでおりました。
 気のせいか、モーレツに練習を続けていると髪が細くハリがなくなってくるような気がしました。で、しばらく練習を休むと元に戻るのです。
 大学時代はサークルでギターを弾いていたので、止めるわけにはいきませんでした。毎年、暮れにコンサートがあり、最後のコンサートの後、どうしようか考えました。で、頭髪を優先し、ギターはほどほどにしよう、ということにしました。
 社会人になってからは、パーマは止めましたが、癖毛がいい感じのウエーブを作ってくれ、当時としては比較的めずらしい長めの髪形をしておりました。ギターをほとんど弾かない生活でしたが、そのせいか髪のコシもけっこうあって、当時の写真を見ると髪多いな、と思います。
 で、現在はどうか、と言えば、さすがに若い頃と比べるとコシはなくなってますが、量はあまり変わってないような気がします。その代わり、かなり白くなってしまいました。30代の後半から急速に白くなり始め、今では、多分、私の第一印象は「白髪の人」だと思います。
 ずっとギターを弾き続けていたら、私の頭髪はどうなっていたのでしょう。
 ちなみに、ギター以外ではサックスやトランペットなど金管楽器のプレーヤーは薄毛の人が多く、逆にフルートやクラリネットの木管楽器の方は白髪が多いような気がします。とくにフルートはキレイな白髪の演奏家が多いですね。
 老後を考え、もう一度ギターを弾こうかとも思いますが、待て待てここまでがんばったのだから、ロマンス・グレーを目指して今からフルートの練習でもしようか、とも思う私がいます。
 でも、ギターって最高に楽しい楽器ですよ。演奏家によってこれほど音質が変わる味わい深い楽器はないのではないでしょうか?ギターへの罪滅ぼしに、次回はギターにまつわるもっといい話を書きます。
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2012年03月21日

ニューヨークからの電話

 先日の日曜、隠れ家で過ごし、帰りがけに携帯を見ると奇妙な表示が。「通知不可能」
 非通知設定なら分りますが通知不可能とは?しかも呼び出しは1秒で切れてます。着信音が鳴った憶えもありません。
 ここ1ヶ月以上、奇妙なことが立て続けに起こっており、またか、と思いました。
 翌月曜、盛岡での工程会議が終わり車に乗り込んで会社へ電話しようと携帯を取り出すと、またまた2件「通知不可能」の着信が入っておりました。気味悪く思いながら会社に電話すると・・・「誰か分ったよ!」とカミさん。「あなたのニューヨークのお友達、スカイプ使ってたんだって。さっき会社に電話があった。メルアド教えといたよ」とのこと。
 ニューヨークに友達なんていたっけか?と思った瞬間、懐かしい顔が浮かんできました。Mです。Mとは小学6年から高校まで同級生として過ごしました。仲が良くなったキッカケは音楽でした。
 私は子供の頃から家にギター(クラシック・ギターというよりガット・ギターと言った方が合っている)があり、小学生の頃から遊びで弾いており中学校に入った頃には「禁じられた遊び」はもちろんフェルナンド・ソルの「月光」とかフランシスコ・タレガの「ラグリマ」や「マリア」が弾けるようになっておりました。独学で楽譜も読めるようになっており、フォークのアルペジオを使った伴奏などはほとんど初見で弾けました。但し、同級生の前で弾くことはなく、誰も私がギターを弾けることは知りませんでした。
 中学3年の秋、Mがギターに興味を持ちました。行動派の彼は音楽室の倉庫にクラシック・ギターが置いてあるの発見し、その倉庫の鍵を開ける方法もあみ出して、ある日音楽室に侵入しました。なぜか私も連れて行かれました。それから2人で休み時間になると毎日、音楽室に侵入し、思い思いにギターを弾いて遊んでいました。私としては、人前でギターを弾く快感を初めて知りました。そのことがキッカケで卒業式の後の謝恩会で、教師と卒業生全員とその父兄の前で演奏を披露するハメになりました。中学校の体育館のステージが私の初舞台となったわけです。
 高校3年。部活を引退した秋、Mはバンドを組んで活動を開始しました。同級生の間ではそのメンバーに私が入っていたと勘違いしている連中が多いですが、誤解です。ちなみに私が東京時代「東京乾電池」で脚本を書いているというウワサが流れたようですがそれもガセです。
 その後、2人とも東京に出て道は分かれましたが、確か私が大学の3年?の頃、正月で帰省していたところMが袋いっぱいのリンゴをぶら下げて突然やってきました。コタツにあたって代わる代わるギターを弾き合いました。当時のMはジャズ寄りのフュージョン系の音楽を目指してました。パット・メセニーがいちばん好きで、その日もたくさんテープを持ってきてこれを聴け、あれを聴けとお気に入りの演奏をさんざん聴かされました。夕方、飲みに行こうと街へ歩いて向かいました。
 その道すがら、Mがニューヨークへ行く、と言い出しました。向こうで音楽に人生を賭けたい、ということでした。
 同級生が働いている駅前の飲み屋へ行き、そこへ一人また一人と同級生たちが集まり、最後は7〜8人になってました。店が閉まるまで飲み続け、深夜の雪が舞う通りをぞろぞろと歩いて帰りました。その中の一人が何か私にちょっかいを出し、その時T(今は遠野で大成功しているジンギスカンの店の経営者)が「やめろ!沼田はな、早稲田行ってんだぞ。俺らの誇りなんだぞ」と怒鳴りました。そして大声で「早稲田!早稲田!」と何処で憶えたのか「都の西北」を歌い出しました。当時、音楽サークルの活動を言い訳にしてほとんど授業に出ていなかった私はTに「やめてくれ」と小さな声で言いました。
 その夜、Mは私に新宿のバーのマッチを渡し、新宿で静かに飲みたくなったら行ってみろ、と言いました。「スティック」という店でした。
 
 間もなく、宣言した通り、Mはニューヨークへと旅立ちました。

 MのHPがあり、5年ほど前、お前の事書かせてもらったぞ、と言うのでのぞいて見たら、ほんとにさくっとした内容で、わざわざ言うほどのことないじゃん、と思ったのですが、良く見ると英語版のページがあり(というかこちらの方がメインだった)、Mのプロフィールのページの最初に中学時代の私との思い出がしっかりと書かれてました。
 Mとは音楽室でさんざんギターを弾いた後、放課後、私の家の応接間のステレオで、よくクラシックのレコードを聴いてました。当時、私はバイオリンにも興味があり、安いバイオリンを買ってもらってました。ギターと違いバイオリンは独学ではどうしようもありません。それでも「シェルブールの雨傘」のメロディーを何とか弾いたりしながら遊んでました。クラシックのレコードもハイフェッツやオイストラフのバイオリン協奏曲が多かったと思います。私自身忘れかけていた思い出でしたが、Mにとっては特別な時間だったようで、彼から見たその時の様子が英文で語られてました。友人の記憶の中にそのように残れることの幸せを感じました。

 そのMが、ついにニューヨークを引き払う決心をしたようです。
 電話は午後6時過ぎにかかってきて、8時過ぎまで話しました。こちらは寒い夜でしたが、向こうはパープル色の夜明けの景色を眺めながら話していたのでしょうか?
posted by walker at 19:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2012年03月05日

人生のにぎやかな時

 ユーロ危機も一息をつき、僅かながら米国の景気回復の兆し見えてきました。ユーロも米ドルも幾分値を戻し、世界は静かに安定化の方向へ向き始めた気がします。
 ユーロ危機についても、ギリシャのGDPは神奈川県とほぼ同程度であり、そこが危ないからと言って世界が大騒ぎすること自体が異常でした。
 さて、そのような世界情勢から目を転じて自分の周囲を見渡せば、なにやら奇妙なことが立て続けに起こってます。振り合えってみると、どうやら1月の東京あたりから、何かがおかしいです。友人 I 氏の印象がどこか奇妙だったのですが、その奇妙な世界に私自身も取り込まれてしまったような気がします。いろいろと差し障りがあるんで、奥歯にモノがはさまったような話しか書けませんが、とにかく?印の事象が立て続けに起こっており、ひょっとしてこのままアセンションしてしまうんではないか、という気がしないでもありません。もしそうなら皆さん、お先にさようなら。
 昨日は、久しぶりに隠れ家で過ごしました。
 宮部みゆきさんの「小暮写真館」という小説を持って行って、日がな一日、薪ストーブのそばで読んでました。
 小暮写真館の小暮爺さんは、写真館の受付で亡くなっているのが発見されます。そのあたりの描写で、「人生のにぎやかな時期を過ぎていた小暮さんは・・・」という文章があり、とても印象に残りました。
 人生のにぎやかな時期か・・・、自分はその時期があとどれくらい続くのだろう、と思います。でも、ほんとうににぎやかだったのは、今から数年前かも知れません。例えば、遠野祭りの時期には、八幡神宮のすぐ隣の我が家には、様々な人々が集まり、実ににぎやかでした。仕事の関係者も個人的な知人も分け隔てなく一緒に我が家に集まり、それぞれが普段とはちょっと違う側面をのぞかせ、妙にウキウキさせる時間が流れていました。父や母もその日はとても幸せそうでした。先週の土曜にNHKの連ドラ「カーネーション」のシーンを見て、あの頃の我が家とそっくりだ、と思ったものです。
 時は流れました。あの頃よりも今の方が幸せ、と言い切れる人々はどれくらいいるのでしょう。遠くへ行ってしまった人も、二度とお会いできない処へ旅立たれた方もいます。残った人たちも相応に歳を取りました。
 歳を取ることを恐れることはない、その歳になるまでに為すべきことを為さなかったことが恐ろしいのだ、ということを、随分昔に村上春樹さんが書いてました。ほんとうにそうでしょうか?私はどんな生き方をしていようと、歳を取ることが恐ろしくなる時期は来るような気がします。
 心安らかな老後は存在するのでしょうか?どんな人生を送ろうと、後悔、罪悪感といった負の感情は必ずあると思います。そこに、底知れぬ孤独の念と死への恐怖が加わります。一見、穏やかな様相の老人に内面は、そのような辛い感情がうごめいているのではないでしょうか?
posted by walker at 18:12| Comment(0) | TrackBack(0) | その他