2012年09月28日

優しく豊かな人々が幸せになれない世界

 先日、「石垣島に移住した俵万智さんについて」と題する記事にコメントをいただきました。この記事で私が言いたかったことは、もうひとつの記事「究極の利己主義が道徳を生む」で言いたかったことと本質的に同じことかもしれません。「石垣島・・・」に興味を持っていただけた方はぜひ「究極の・・・」も御覧になっていただければ、と思います。 これらふたつの記事のキモとなる主張をたった一言で端的に表現した言葉があります。
 「情けは人のためならず」です。
 ちなみに宮澤賢治の有名な言葉「世界が全体幸福にならない限り個人の幸福はあり得ない」、これも同様の感性から絞り出された言葉である、と私は感じております。
 もっと例を挙げれば、私の世代ではみんなが知っている有名な詩「夕焼け」(吉野弘)、夕暮れのバスの中で2度老人に席を譲り、3度目は譲れなかった若い女性。彼女が象徴していたものが、今回の俵万智さんの状況と言えないでしょうか?
 宮澤賢治は100年以上前の花巻で、職場帰りに蕎麦屋で蕎麦を食べ、ソーダ水を飲んでいた特権階級であります。うろ覚えですがチェロとエスペラント語のレッスンのために東京へ行けた人だったと思います、確か。現代で言えば、頻繁に三ツ星レストランのフレンチを食べ、ニューヨークかパリにレッスンに行ってたような感覚と思います。要するに富豪のご子息であったわけです。
 周囲は貧しい農民だらけの中で、心優しい賢治が自分の境遇を心から楽しめたとは思えません。賢治でなくともまともな感性を持っていれば、明日の生活にも困っている人々がたくさんいるのに、自分だけ贅沢を楽しむ気にはなりませんよね。つまり、自分は贅沢ができる身分だか、周りの人々の生活が悲惨過ぎて、自分だけ贅沢をするのは気が引ける。かといって自分の財産をばらまいて皆を救うだけの博愛精神もない。したがって、「頼むからみなさん、悲惨な暮らしから脱却してくださいよ、そうしなければ心優しい私は、みなさんの目が気になって贅沢を楽しめないじゃないですか」という思いを書き言葉にしたのが「世界が全体幸福に・・・」の真の意味だと私は思ってます。そして、ムリヤリ自分の周囲を幸福な世界に仕立てようとした結果「イーハトーブ」という美しいメルヘン世界が誕生しました。
 「夕焼け」の女性も、最後は疲れた身体をシートに沈ませ老人に席を譲れなかった。そして心は辛く、歯をかみしめてうつむく。美しい夕焼けも見ないで。
 もちろん私は、宮澤賢治も「夕焼け」の女性も責める気持ちは毛頭ありません。むしろ心からシンパシーを感じます。
 2011年3月11日、この日を境に多くの「豊かで心優しい方々」が、露骨に、あまりにも露骨に、このような状況に立たされているような気がします。私には神様が仕掛けた意地悪に思えて仕方ありません。
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2012年09月24日

忘れがたい童話

 紫波町のオガール地区が気になってます。実は昨日も行ってきました。 そういえば、やはり以前目撃したのはぐっちーさん本人に間違いなかったみたいです。ぐっちーさんはオガール・プロジェクトに深く関わっていたんですね。
 ちなみに今回はオガールプラザ内の図書館を見てきました。その感想はひとまず置いといて、今日は童話について書いてみたいと思います。
 私は、初めての図書館に行くと、まず児童図書のコーナーを見ます。
 読書の記憶と言えば、私にとって小学校の頃に読んだ数々の童話ほど、心躍るものはありません。思いつくままに挙げてみると「空飛ぶ家」「松の木の王子」「小さな魔女」「おかあさんは魔女」「魔法のぼうし」「もぐら原っぱの仲間たち」「青空にばんざい」・・・。その多くは絶版になっているのでしょう。児童図書のコーナーでいつも探して見るのですが、今だ見つけられません。
 それらの中で、もう一度読んでみたい、と思う忘れられない作品が3冊あります。
 「小さな町のなかで」「文彦のふしぎな旅」「絵にかくと変な家」の3冊です。
 「小さな町の中で」は確か小学校5年生の冬に読んだと思います。カメラが趣味の少女が主人公で、その娘と脱走兵(おそらくベトナムからの脱走兵で黒人だったような)とのふれあいがテーマだったような気がします。普通の少女の日常に黒人の脱走兵が現れる、という不思議なムードを持った作品でした。
 「文彦のふしぎな旅」は満州が舞台だったと思います。ラストがあまりに衝撃的で、読後しばし呆然としたのを憶えてます。
 「絵にかくと変な家」は、ちょっと大人になってから、中学3年の時に読みました。学生運動が絡んでくる思想色の強い作品だったような気がしますが、それとは別に(いや、それだからこそ、と言うべきでしょうか)忘れがたい独特の印象がありました。
 3作品すべてに共通するのは、どれも一筋縄ではいかない、クセのある作品である、と言うことでしょう。生理的な部分を直撃してくるようなザラりとした感触が何とも言えません。ネットで検索してみたのですが、ヒットしたのは「文彦・・・」だけでした。あとの2作は絶版になってしまったのでしょうか?ひょっとしたら、今の子供たちに読ませるのに好ましくない内容、と判断されてしまったのかな?
 何れにせよ、あの頃のような読書体験は二度と経験できないでしょう。
 図書館の匂い、手に取った本の記憶とその時々の季節が織りなす情景は、ほんとうに忘れがたい大切な思い出です。
 そう言えば、本に絡んで一人の実在の少女のことを思い出しました。次回、彼女について書いてみたいと思います。もう、40年も前のことだから、書いても多分、差しさわりないでしょう。
 

2012年09月17日

2度目の特許出願完了

 今は9月18日午前11時半です。昨日書いた内容に下記の通り大幅な訂正があります。
 @今回申請した特許が公開になるのは(電子図書館で閲覧可能になるのは)1年半後でした。
 A審査請求は出願から3年以内であればいつでもできるそうです。
 先ほど別件で弁理士さんと話した時に、念のため訊いてみたら私の認識に相当な誤りがあることが判明しましたので、訂正箇所を冒頭に書いておきます。そんなわけで下記の文章は間違いだらけではありますが、それもまた私のズボラな一面ですので、そのまま残しておきます。では、今から盛岡です。行ってきます。

(訂正前の記事)
8月末に棟瓦の耐震補強金具についての特許出願が完了しました。3月10日のブログの冒頭で書いた金具です。私にとってはふたつめの出願になります。前回同様、審査請求をおこして、丁寧に事を進め、特許取得に至りたい、と思ってます。 前回取得の特許は、業界人でさえ分りにくい内容でした。棟瓦の倒壊のメカニズムを理解していないと工法の意味するところがつかめないのです。残念ながら同業の瓦屋さんでも、説明してわかってもらえないケースが多いです。当社の従業員は日常的に現場でこの特許による工法を実施してますから、充分その利点を理解してます。何よりも効率的(仕事が楽)なのです。強くて軽くて作業性が良い、抜群の工法なんだけどなあ・・・。
 一方、今回の特許は実に分りやすいです。興味のある方は、もうしばらくしたら特許庁の電子図書館にアクセスして、例えば「沼田 弘 瓦」と入れて検索してみてください。今日の時点ではまだUPしてないようですが。(←この文章マチガイです。UPされるのは1年半後でした。失礼しました。)
 特許の業界(って言ったらよいのかな)というのもいろいろとクセがある世界みたいで、エンジニアのY君は自分で申請文書を書いていたくらいですから裏事情に詳しいです。
 審査請求は1年半後になりますが、今回は極めて分りやすい「独自性」と「新規性」を持っているので、どんな反論が返ってくるのか、ちょっと楽しみではあります。
 もうちょっと余裕が出来たら、製品開発まで進み、製品として売出しも視野に入れてます。乞うご期待。
posted by walker at 18:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 経営・ビジネス

2012年09月12日

宝来館の観世音菩薩

 根浜海岸にある宝来館。震災後、多くのメディアで取り上げられていました。 今日の話は、震災前の宝来館にまつわる個人的な思い出です。
 
 今から6,7年前でしょうか、暮れに用事があってカミさんと根浜海岸を訪れました。用が済み、二人、砂浜で冬の海を眺めていると、急に大雨が降ってきました。慌てて駆け込んだのが宝来館。
 そこで意外な「存在」に出会いました。
 その「存在」は人気のないロビーの一角に大切に祀られておりました。
 「これはもしかして・・・」
 その表情は間違いなく我が祖父・沼田三次郎の手によるものでした。観世音菩薩。なぜ、ここに?
 暖かい珈琲を注文すると、女将自ら持ってきてくれ「この菩薩ですが・・・」と私が切り出すと、
 「これは、遠野に瓦屋さんがあって・・・」と女将の口から祖父・三次郎の話が始まりました。
 それまで、宝来館と祖父の繋がりはまったく知りませんでした。

 観世音菩薩は津波の際も無事で、今も宝来館に祀られているようです。
 先日、カミさんが宝来館のHPを開いたら、菩薩の写真と、その菩薩が夜になると海岸を散歩する、といった記載がありました。大切にしてもらえてうれしいです。

 もうひとつ、思い出。
 戦略的逃亡生活終結後、それでもどことなく居場所がなくなったような気がしていた私は、9月の遠野祭りの日、あまり人に会いたくなくて、一人遠野を離れました。
 何となく海が見たくなり、宝来館に宿を取りました。
 翌朝、どこも行く当てがなく、車をヨットハーバーに止め運転席でぼーっと海を眺めてました。良く晴れた気持ちの良い日でした。
 と、その時、取引先である某大手ハウスメーカーのマークの入ったバンがやって来ました。はっとしました。
 その車からまたまた見覚えのある監理員が降りて来ました。オーッと思いました。
 その方はゆっくり波止場を歩き、ほぼ私の視界の真正面に立ち、しばらく海を眺めてました。もちろん私には気が付いておりません。
 私はどうしたか、と言うと、思わず席に倒れこんで身を隠しました。とっさの行動って自分でも訳が分りません。とにかく息をひそめてじっとしておりました。
 しばらくして車の走り去る音がしたので、私は身を起こしました。
 その監理員の方は、たいそう仕事が出来、我々業者への配慮も行き届いた非常にバランスの良い人間性を持たれた方です。その方の今まで知らなかった面を偶然垣間見てしまったのでした。
 
 その後、昼過ぎに釜石へ行き、「館」という喫茶店のカウンターでスパゲティを食べていると、後ろからヨッと肩を叩かれました。日頃お世話になっている設計事務所の所長さんでした。家族でいらしており、簡単なあいさつだけで奥の席に移動されました。

 一人になりたくて遠野から逃げて来たのですが、行く先々で仕事関係者に遭遇してしまう、バツが悪いというか、とにかく変な一日でした。皆から、気にせず建築業界に帰ってこいよ、と言われているような気がしました。

 以上、2008年の9月の出来事でした。根浜の海も青く穏やかで、昔と何も変わらず、これからも何も変わらないんだろう、いや、そんなことを思うことさえない日々の一コマでした。
 それから2年半後にこの地域を襲った大津波で、喫茶「館」も波にのまれました。設計事務所の所長さんも今だ行方が分かりません。あらためてご冥福をお祈りいたします。

 
posted by walker at 09:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 思い出