2013年04月12日

汚れることの尊さ

 現場を回っての帰り、カーラジオからのニュース。 「タクシーの運転手がスピード違反で捕まり、警察に見逃してくれるよう金銭を渡そうとしたが拒否され、逃げ出したところ、追いかけてこられ、警官の襟首をつかむ暴力行為におよんで逮捕された。道交法違反の他、収賄の罪でも追及される見込み」との報道でした。
 皆さんはこのニュースを聴いてどう思われますか?
 私も数年前に仕事中に時速70kmで走行中、違反で捕まりました。20kmオーバーでした。遅れてはまずい会議があり、車から降り、手続き中も時間が気になって仕方なく、そこでロスした10分程度の時間は私にとっては致命的に思われました。また、そのために生じた焦りが、その後の事故につながる可能性もあるな、と真剣に思いました。つまり、事故防止という考え方から言えば、この取締りは明らかに逆効果と感じました。もっともそれ以後、遅れてはいけない場所へ車で移動する場合は大幅に余裕を持つことにしましたので、長期的な視点では良い経験だったとも言えます。

 話は戻って、このタクシー運転手さんの場合。勝手な想像が私の中で湧き上がってきました。
 この方は、ひょっとしてもう少しで個人タクシーを開業できる資格を得られたのかも知れません。しかし、ここで捕まれば、資格取得がまた3年伸びてしまいます。若ければ良いですが、50代とかであれば、3年延期になるのは痛いです。そこで、何とか見逃してもらおうと思わず財布からお金を出して、「これで見逃してください」と必死で御願いしたのかも知れません。それを拒否されたので、思わず逃げてしまった。しかし追いかけてくる。「俺の気持ちが分からないのか、お前には情けがないのか」と頭に血が上り、思わず警官の襟首をつかんでしまった・・・。

 ラジオニュースだけではもちろん詳細は分りません。ただ、可能性として上記の状況も充分考えられる、と思います。誰でもうっかりすれば出してしまう程度のスピード違反だったとすれば、そのためにこの方の払った代償は大き過ぎます。
 具体的には書けませんが、ここ1週間の間でも、これで実名報道するのか?、これで裁判に敗訴するのか、と思った報道が2件ありました。

 企業活動は、社会を豊かにする無くてはならないものですが、事業の過程、有価物を生み出す過程においてある程度の負荷を周囲におよぼさざるを得ません。一方、取り締まる法は年々厳しくなっています。法とは性悪説に基づいて制定されるもののようです。

 世の中は複雑で、法律が現実に対応しきれない例が多々あります。法と現実の乖離です。
 その隙間を埋める人間、というか法と現実の矛盾を引き受けるおおらかな心と覚悟を持った人間が少なくなってきた、と最近強く感じます。コンプライアンス、潔癖という名の隠れ蓑の中は「自分さえ法の下で咎められず責任を逃れられさえすれば、社会など他人などどうなろうとかまわない」という偏狭さが詰まってます。本末転倒の極みです。心にそういう蓑をまとった方たちは、矛盾という汚物を常に他人に押し付けます。押し付ける力の強さは、社会的権力の強さに比例しますので、最後は社会的弱者がそれを引き受け、かろうじて世の中がこうして動いているわけです。
 でも、それで良いわけないですね。
 今、求められるのは、社会的強者の中から、汚れることの尊さを知る者が多数現れてくれること、だと思います。現代の英雄とは、そういう存在なのかもしれません。
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2013年04月05日

親と子と仕事と

 ご無沙汰してます。久しぶりの更新です。 こんなゆったりした気分は久しぶりです。春の夕日が優しいです。
 今日は、珍しく家族のことを書きます。
 我が家は、父母、カミさん、私の4人家族。子供はいません。
 小さな会社ですから、家庭と仕事も切り離せません。食卓での会話はほとんど仕事がらみです。
 まあ、どこもそうでしょうが親子で仕事をやっていて、波風立たないところはないでしょう。ご多分にもれずウチもそうです。とくに口論が絶えなくなったのは2005年以降(今から7〜8年前)でしょうか。
 5年ほど前、東京の某伝統工芸を業務とする会社の社長さんと食事をしました。その会社も家族経営でしたが、仕事が終わると親子で近所のジャズバーへ行き、そこで社長さんはボーカル、息子さんはアルト・サックスを吹くのだそうです。
 「仲が良くて羨ましいですね」と私が言うと、その社長さんは、
 「いや、仕事では意見が合わなくて当たり前だよ。だって年代が違うんだから意見が合う方がおかしい。同業者を見ても、親子の意見が合う会社は、まあ、息子が潰すね。遺産目当てで、親父に気に入られることしか考えてないんだから当たり前だよ。あなたは今のままで良い。自分の考えはちゃんとぶつけて信念をもっておやんなさい」と言ってくれました。
 別に私の意見が正しいとか正しくないではなく、「生き方」そのものを肯定してくれた言葉でした。悩んでいた私は、すっと心が楽になったものです。
 今は社長交代も済み、職場での親子喧嘩はさすがになくなりましたが、最近は両親のリタイア後の人生について意見が合わなくて困ってます。私と妻は、それなりに合理的な判断から、今行っていた方が良いことを提案しますが、両親はまずほとんど受け入れません。理性に訴える説得はまるで効果がないのです。先日の夕食時は、母があまりに非合理的で頑固なので、私も久しぶりに怒鳴ってしまいました。
 その夜は、気分を鎮めるため隠れ家へ泊まったのですが、そこで薪ストーブに火を入れながらふっと思いました。「親がいつのまにか子に還っている・・・」
 幾ら理をつくして説明しても感情的に嫌なものは嫌、というのではまるで子供です。我が親はその領域に入ってます。
 妻によく言うのですが、私は子供がいなくてほんとうに良かった、と思ってます。もし私に子供がいたら、私はその子を自分の思うように育てようとしたでしょう。ああしろ、こうすべき、と実に口うるさい父になっていたと確信します。大学は何が何でも東大に入れようとしたでしょう。そんな自分を見たくなかったから、子供がいなくて良かった、と思うわけです。
 ストーブの火を見ながら突然、気が付きました。「ひょっとして俺、おふくろに、同じことしてないか」
 傍らにいた妻に、そう言うと、妻は「やっと気が付いた?」という風なことを言いました。
 人を、自分の思うままに動かすことなど出来ません。私は、子供がいたら行っていたに違いない自分の醜い行動を、まるで子供に還ったかのような両親に対し、してしまっていたのではないか?
 そう思った瞬間、心にあった怒りの感情があっけなく氷解してしまいました。
 翌朝、母に謝りました。
 それにしてもカミさんには今回も頭が上がりませんでした。すべて見通しながら、私が自分で気付くまでじっと耐え待っていてくれました。逆立ちしてもかないません。ホントに。
 東京の社長さんは、私がお会いしてから2年後、急逝されました。
 駅まで送っていただいた時、車のカーステレオから、息子さんが吹くアルト・サックスが流れていました。とてもムードのある演奏で、私がそう感想を言うと、実に嬉しそうに笑っておられたことを思い出します。
posted by walker at 18:36| Comment(4) | TrackBack(0) | その他