2014年06月21日

過労死について考える

 過労死防止法が成立しました。またひとつ新しい法律が誕生したわけです。

 過去の記事「憲法と法律」でも書きましたが、基本的に「法律」は国民の自由、権利、財産を制限するものです。もちろん「法律」によって守られる人々もおりますが、その一方で、自然権の一部を剥奪される人々も出てきます。究極の表現をすれば、「法律」は国家のために存在します。もっと具体的に言えば、「法律」は役人の都合の良いように作られます。だから役人の勝手をさせないために「国会」は国民の代表である議員でもって構成され、その組織は「立法府」と呼ばれます。法律に縛られるのは国民だからこそ、その国民の代表に法律を成立させる権限を持たせなければフェアではない、という崇高な思想がそこにあるわけです。今の日本ではほとんど形骸化しておりますが。

 今回は、法律の概念の話ではありません。過労死が起こる原因の話です。

 過労死が起こる根本原因は、2つです。
 納期と品質です。
 さらに品質には2タイプあります。必要十分品質と過剰品質(もしくは勘違い品質)です。過剰品質を求める人が個人の場合をクレーマーと呼びます。

 どんなに仕事が殺到しても「納期」という制限がなければ過労は発生しません。疲れたから休むね、その分、ちょっと納品が遅れるから待ってね、と言えば良いわけです。
 それでも、「この納期だけは絶対だよ」と言われた場合は、品質を落として調整します。但し、クリアしなければならない最低のレベルだけは維持します。それが必要充分品質です。製品であれば実害のない部分(美観など)から順に削って行きます。

 しかし、困ったことに日本人は真面目です。その中にあって私、沼太英雄士は「真面目過ぎる」と言われます。一体、私はどれほど恐ろしい人間なのでしょう。

 東日本大震災の年、福島県で瓦工事店の社長さんが二人、自殺しました。あまり知られていませんが業界では有名な話です。原因は、殺到する修理依頼をさばききれず、かつ、中には、怒鳴り込んでくるお客がいたりして精神的・肉体的に追い詰められたためでした。実に痛ましい話です。このお二人は間違いなく過労死です。但し、経営者が過労死しても法も誰も守ってくれません。

 人間、命を犠牲にしてまでやらなければならないことって、無いとは言いませんが、そんなに多くは無いですよ。これは私の信念です(ちょっと大袈裟かな?)。

 震災の時、私は従業員に過剰な無理はさせませんでした。もちろん、精一杯頑張りましたが、自分で決めたあるレベルを越える無理は、絶対にさせませんでした。
 まず、電話。鳴り止まない電話への対処方法は、「今出ている1本の電話に集中しなさい」。
 電話中に別な電話が鳴り出すと、人手が足りず、ついつい今の電話を早く終わらせ、次の電話に出なければ、という強迫観念にかられます。私の指示は「どうせ出られないならその鳴っている電話無視しなさい。仕方ないから。それよりも今電話で話している相手から必要な情報を確実に入手しなさい」。結局それがもっとも効率的な方法なのです。

 また、震災直後のある日の電話。
 「早く修理に来ないと雨が降ったらどうするんだ!雨漏りしたらどうするんだ!」
 それに対する「真面目過ぎる男・沼太英雄士」の答弁「雨漏りしても晴れれば乾くから問題ありません」
 もちろん、私は悪者です。言われた方は相当腹が立ったと思います。ちなみに当時、弊社の鉄骨造の倉庫も母屋が折れ曲がり、屋根材が落ちてました。修理したのは震災から2年後です。

 お客様はもちろん大切にしなければなりませんが、同じくらい従業員だって大切です。自社の仕事に誇りを持てるのであれば、過剰なお客様満足度を追及するあまり、そのしわ寄せを従業員や取引先に押し付けるべきではありません。そして、過労死を生むのは、従業員や取引先に無理を強いる経営者の責任である以上に、消費者である我々一人一人の態度であることを肝に銘じるべきです。

 結論。日本人はもっと緩く生きた方が良いと思います。そして、もっともっとお互いを許し合えれば良いなあ、と思います。それがいちばんの過労死撲滅方法と、真面目過ぎる私は考えるわけです。

 
posted by walker at 18:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 政治・経済
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