2015年08月17日

ヌマタ・オン・ザ・ルーフです

 一年ぶりにブログを更新します。
 さて、激動?の一年が過ぎ、70余年過ごした地を離れ、新たな場所に新社屋を作り営業しております。これを機に社名も変えました。有限会社ヌマタ・オン・ザ・ルーフです。今後ともよろしくお願いいたします。
 新天地での営業は良いのですが、それまでの場所の片付けがまだ終わっておりません。8月いっぱいはかかりそうです。はあ〜(タメ息)。車の表示も旧社名のままだし。会社の引越し、社名変更ってやっぱりたいへんですね。
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2013年04月12日

汚れることの尊さ

 現場を回っての帰り、カーラジオからのニュース。 「タクシーの運転手がスピード違反で捕まり、警察に見逃してくれるよう金銭を渡そうとしたが拒否され、逃げ出したところ、追いかけてこられ、警官の襟首をつかむ暴力行為におよんで逮捕された。道交法違反の他、収賄の罪でも追及される見込み」との報道でした。
 皆さんはこのニュースを聴いてどう思われますか?
 私も数年前に仕事中に時速70kmで走行中、違反で捕まりました。20kmオーバーでした。遅れてはまずい会議があり、車から降り、手続き中も時間が気になって仕方なく、そこでロスした10分程度の時間は私にとっては致命的に思われました。また、そのために生じた焦りが、その後の事故につながる可能性もあるな、と真剣に思いました。つまり、事故防止という考え方から言えば、この取締りは明らかに逆効果と感じました。もっともそれ以後、遅れてはいけない場所へ車で移動する場合は大幅に余裕を持つことにしましたので、長期的な視点では良い経験だったとも言えます。

 話は戻って、このタクシー運転手さんの場合。勝手な想像が私の中で湧き上がってきました。
 この方は、ひょっとしてもう少しで個人タクシーを開業できる資格を得られたのかも知れません。しかし、ここで捕まれば、資格取得がまた3年伸びてしまいます。若ければ良いですが、50代とかであれば、3年延期になるのは痛いです。そこで、何とか見逃してもらおうと思わず財布からお金を出して、「これで見逃してください」と必死で御願いしたのかも知れません。それを拒否されたので、思わず逃げてしまった。しかし追いかけてくる。「俺の気持ちが分からないのか、お前には情けがないのか」と頭に血が上り、思わず警官の襟首をつかんでしまった・・・。

 ラジオニュースだけではもちろん詳細は分りません。ただ、可能性として上記の状況も充分考えられる、と思います。誰でもうっかりすれば出してしまう程度のスピード違反だったとすれば、そのためにこの方の払った代償は大き過ぎます。
 具体的には書けませんが、ここ1週間の間でも、これで実名報道するのか?、これで裁判に敗訴するのか、と思った報道が2件ありました。

 企業活動は、社会を豊かにする無くてはならないものですが、事業の過程、有価物を生み出す過程においてある程度の負荷を周囲におよぼさざるを得ません。一方、取り締まる法は年々厳しくなっています。法とは性悪説に基づいて制定されるもののようです。

 世の中は複雑で、法律が現実に対応しきれない例が多々あります。法と現実の乖離です。
 その隙間を埋める人間、というか法と現実の矛盾を引き受けるおおらかな心と覚悟を持った人間が少なくなってきた、と最近強く感じます。コンプライアンス、潔癖という名の隠れ蓑の中は「自分さえ法の下で咎められず責任を逃れられさえすれば、社会など他人などどうなろうとかまわない」という偏狭さが詰まってます。本末転倒の極みです。心にそういう蓑をまとった方たちは、矛盾という汚物を常に他人に押し付けます。押し付ける力の強さは、社会的権力の強さに比例しますので、最後は社会的弱者がそれを引き受け、かろうじて世の中がこうして動いているわけです。
 でも、それで良いわけないですね。
 今、求められるのは、社会的強者の中から、汚れることの尊さを知る者が多数現れてくれること、だと思います。現代の英雄とは、そういう存在なのかもしれません。
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2013年04月05日

親と子と仕事と

 ご無沙汰してます。久しぶりの更新です。 こんなゆったりした気分は久しぶりです。春の夕日が優しいです。
 今日は、珍しく家族のことを書きます。
 我が家は、父母、カミさん、私の4人家族。子供はいません。
 小さな会社ですから、家庭と仕事も切り離せません。食卓での会話はほとんど仕事がらみです。
 まあ、どこもそうでしょうが親子で仕事をやっていて、波風立たないところはないでしょう。ご多分にもれずウチもそうです。とくに口論が絶えなくなったのは2005年以降(今から7〜8年前)でしょうか。
 5年ほど前、東京の某伝統工芸を業務とする会社の社長さんと食事をしました。その会社も家族経営でしたが、仕事が終わると親子で近所のジャズバーへ行き、そこで社長さんはボーカル、息子さんはアルト・サックスを吹くのだそうです。
 「仲が良くて羨ましいですね」と私が言うと、その社長さんは、
 「いや、仕事では意見が合わなくて当たり前だよ。だって年代が違うんだから意見が合う方がおかしい。同業者を見ても、親子の意見が合う会社は、まあ、息子が潰すね。遺産目当てで、親父に気に入られることしか考えてないんだから当たり前だよ。あなたは今のままで良い。自分の考えはちゃんとぶつけて信念をもっておやんなさい」と言ってくれました。
 別に私の意見が正しいとか正しくないではなく、「生き方」そのものを肯定してくれた言葉でした。悩んでいた私は、すっと心が楽になったものです。
 今は社長交代も済み、職場での親子喧嘩はさすがになくなりましたが、最近は両親のリタイア後の人生について意見が合わなくて困ってます。私と妻は、それなりに合理的な判断から、今行っていた方が良いことを提案しますが、両親はまずほとんど受け入れません。理性に訴える説得はまるで効果がないのです。先日の夕食時は、母があまりに非合理的で頑固なので、私も久しぶりに怒鳴ってしまいました。
 その夜は、気分を鎮めるため隠れ家へ泊まったのですが、そこで薪ストーブに火を入れながらふっと思いました。「親がいつのまにか子に還っている・・・」
 幾ら理をつくして説明しても感情的に嫌なものは嫌、というのではまるで子供です。我が親はその領域に入ってます。
 妻によく言うのですが、私は子供がいなくてほんとうに良かった、と思ってます。もし私に子供がいたら、私はその子を自分の思うように育てようとしたでしょう。ああしろ、こうすべき、と実に口うるさい父になっていたと確信します。大学は何が何でも東大に入れようとしたでしょう。そんな自分を見たくなかったから、子供がいなくて良かった、と思うわけです。
 ストーブの火を見ながら突然、気が付きました。「ひょっとして俺、おふくろに、同じことしてないか」
 傍らにいた妻に、そう言うと、妻は「やっと気が付いた?」という風なことを言いました。
 人を、自分の思うままに動かすことなど出来ません。私は、子供がいたら行っていたに違いない自分の醜い行動を、まるで子供に還ったかのような両親に対し、してしまっていたのではないか?
 そう思った瞬間、心にあった怒りの感情があっけなく氷解してしまいました。
 翌朝、母に謝りました。
 それにしてもカミさんには今回も頭が上がりませんでした。すべて見通しながら、私が自分で気付くまでじっと耐え待っていてくれました。逆立ちしてもかないません。ホントに。
 東京の社長さんは、私がお会いしてから2年後、急逝されました。
 駅まで送っていただいた時、車のカーステレオから、息子さんが吹くアルト・サックスが流れていました。とてもムードのある演奏で、私がそう感想を言うと、実に嬉しそうに笑っておられたことを思い出します。
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2012年12月29日

今日で仕事納め

  今日で仕事納めです。近隣現場から帰ったグループで第1回の終礼を終え、今は第2陣(遠距離グループ)の帰りを待ちながら、ブログを書いてます。ラジオからはアヴァンティが流れてます。 と、今第2陣2グループが帰ってきて、これから日報書きです。
 冬至も過ぎ、これからは少しずつ日も長くなっていきます。
 寒さはこれからですが、光の春は日一日と確実に近づいてきます。
 皆様、よいお年を。
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2012年09月28日

優しく豊かな人々が幸せになれない世界

 先日、「石垣島に移住した俵万智さんについて」と題する記事にコメントをいただきました。この記事で私が言いたかったことは、もうひとつの記事「究極の利己主義が道徳を生む」で言いたかったことと本質的に同じことかもしれません。「石垣島・・・」に興味を持っていただけた方はぜひ「究極の・・・」も御覧になっていただければ、と思います。 これらふたつの記事のキモとなる主張をたった一言で端的に表現した言葉があります。
 「情けは人のためならず」です。
 ちなみに宮澤賢治の有名な言葉「世界が全体幸福にならない限り個人の幸福はあり得ない」、これも同様の感性から絞り出された言葉である、と私は感じております。
 もっと例を挙げれば、私の世代ではみんなが知っている有名な詩「夕焼け」(吉野弘)、夕暮れのバスの中で2度老人に席を譲り、3度目は譲れなかった若い女性。彼女が象徴していたものが、今回の俵万智さんの状況と言えないでしょうか?
 宮澤賢治は100年以上前の花巻で、職場帰りに蕎麦屋で蕎麦を食べ、ソーダ水を飲んでいた特権階級であります。うろ覚えですがチェロとエスペラント語のレッスンのために東京へ行けた人だったと思います、確か。現代で言えば、頻繁に三ツ星レストランのフレンチを食べ、ニューヨークかパリにレッスンに行ってたような感覚と思います。要するに富豪のご子息であったわけです。
 周囲は貧しい農民だらけの中で、心優しい賢治が自分の境遇を心から楽しめたとは思えません。賢治でなくともまともな感性を持っていれば、明日の生活にも困っている人々がたくさんいるのに、自分だけ贅沢を楽しむ気にはなりませんよね。つまり、自分は贅沢ができる身分だか、周りの人々の生活が悲惨過ぎて、自分だけ贅沢をするのは気が引ける。かといって自分の財産をばらまいて皆を救うだけの博愛精神もない。したがって、「頼むからみなさん、悲惨な暮らしから脱却してくださいよ、そうしなければ心優しい私は、みなさんの目が気になって贅沢を楽しめないじゃないですか」という思いを書き言葉にしたのが「世界が全体幸福に・・・」の真の意味だと私は思ってます。そして、ムリヤリ自分の周囲を幸福な世界に仕立てようとした結果「イーハトーブ」という美しいメルヘン世界が誕生しました。
 「夕焼け」の女性も、最後は疲れた身体をシートに沈ませ老人に席を譲れなかった。そして心は辛く、歯をかみしめてうつむく。美しい夕焼けも見ないで。
 もちろん私は、宮澤賢治も「夕焼け」の女性も責める気持ちは毛頭ありません。むしろ心からシンパシーを感じます。
 2011年3月11日、この日を境に多くの「豊かで心優しい方々」が、露骨に、あまりにも露骨に、このような状況に立たされているような気がします。私には神様が仕掛けた意地悪に思えて仕方ありません。
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2012年08月18日

ノラ猫の王者

 盆休み中、2泊3日だけ贅沢な時間を過ごさせていただきました。都内のホテルでカミさんとゆっくりしました。
 カミさんは東京在住の友人と待ち合わせしたり美術館を回っていましたが、私の方は日がな一日プールサイドでボーっとしてひたすら無益な時を過ごしておりました。そのホテルでは夏季のみナイトプール営業もしており、夜は夜でほろ酔いでビルの灯りを見上げながらデッキチェアに寝転んでやっぱりボーっとしておりました。
 二日目の夕方ですが、ちょこっと繁華街を散歩した後、またプールサイドで過ごそうと庭園(そのホテルは大きな日本庭園を通ってプールに行かねばなりません)に出た時、舗装の上でダラッと寝そべっているキジトラの猫を発見しました。ホテルの従業員の女性がその背を撫でてます。私が近づくと従業員の女性ははっと身構えました。まずいところを客に見られた、と思ったのでしょう。彼女の警戒心を解こうと二言三言会話を交わし、私も猫を撫でさせてもらいました。ヤツ(猫)は、この庭園に居ついているらしく、毎日、エサももらっているそうです。飼い猫か野良か、と言えば、やはり野良でしょう。但し、野良とすれば、コイツ(猫)は、野良猫界の頂点に立つ猫、野良猫の王者と言えるな、と私は思いました。だってこんな立派で広くて滝まである日本庭園を我が物顔で歩き周り、エサまでもらってるわけです。まさに「キング・オブ・ノラネコ」ノラネコ・キングです。略してノラキン。
 夜の9時近くにプールを出ると、今度は別の猫がまるでお出迎えするように道の隅にたたずんでました。こちらはちょっと女性らしい感じでどことなく気品があります。ノラネコ・クィーンでしょうか。近づくと、すっと木々の奥に消えていきました。
 11時頃、友人と食事を終えて戻ってきたカミさんにノラキンの話をし、明日、探しに行こうということになりました。
 翌朝、昨日の女性従業員の方が教えてくれた「ノラキンがいつも居るあたり」に行ってみたのですが、見つかりません。諦めて帰ろうとした時、カミさんがアッと言って指差しました。ノラキンでした。ウッドデッキでダラッと寝そべっています。あまりに平らで気が付きませんでした。白いソックスをはいたような足を見て、カミさんが気が付いたのでした。その後、しばらく遊んでやったのですが、態度がふてぶてしく可愛げのないヤツです・・・とこうして書いていてふっと不安になりました。もしかしてそのホテルの社長がこのブログを見て、「なんだ、このホテルってうちじゃないのか!庭園にノラネコがいるのか、だれだこの女性従業員は!すぐに保健所に電話して始末しろ!」なんてことにならないだろうか。どうしよう、このままアップしていいのかな?大丈夫だよな・・・私がノラキンの運命を握っているのか・・・。
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2012年06月02日

土曜の夕べの心地よい疲労感

 久しぶりに更新します。
 ここしばらく頭脳と身体をフル回転させておりました。何かに導かれるように物事が良い方向に進んでいるような気がしております。
 今週は月火水と頭フル回転、木は身体フル回転で汗だくになり、ちょっと早めに仕事を上がらせてもらい(といっても6時ですが)、明るいうちに風呂に浸かり実に良い気分でした。昨日は会議と役所で盛岡、花巻と回って帰り、3時半から再び肉体労働、ほとんどペーパーとなりつつあったフォークリフトが少し上手くなったような気がします。今日は朝からその続き。今は、心地よい疲労感の中でこの文章を打ってます。
 昼食はオドロカ・ドライヴインにあるカフェ・ベジトルで。日替わりランチのアスパラ肉巻をモリモリと平らげました。ここは何を頼んでも野菜をたくさん食べられるので助かります。カミさんはアスパラ・ベーコンのクリームパスタ。大盛りを頼んで、1/3を私がいただきました。実に美味しかった。
 テイク・アウトのコーヒーを表のカフェ・テーブルで飲んでいる時に、カミさん曰く「Kちゃん(カミさんの友人)がブログで引用していた話なんだけど・・・」
 要約すると、2012年6月は全ての人々に転機となる重大なポイントだそうで、この時に決断したことが、その後の人生を決めてしまうのだそうです。
 なぜそんな話題が出るか、と言えば、まさに私たちが今重大な決心をして日々フル活動しているからです。しかも第一の区切りは6月末日。その他にもつい先日もうひとつ決心したことがあり、今のところ、そのふたつが私の2大方針となっております。別に天の啓示があったわけではなく、日頃、考えに考え尽くしてきた事が、たまたま今動き出しただけなのですが、確かに、今後の私たちの人生を決めてしまう重大な決断だった、と思います。
 思えば、この半年、様々なことが身の回りで起こりました。思いがけぬ人が去り、あらたな出会いがあり、出会ったと思ったらすぐに去っていったまるで風のような人があり、そして残った人たちがいます。それもすべて、今、私たちが踏み出そうとしている重要な一歩に繋がっているような気がします。
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2012年03月30日

楽器と頭髪の関係

 前回、ギターの話を書きました。
 今、私はほとんどギターを手にしません。たまに弾いてみると、まず左手の指先の皮が痛くなってきます。右手はうまく弦をとらえられません。要するにすごく下手くそです。なぜこうなってしまったか?
 実を言うと、20代半ばくらいから意識的にギターを弾くことから遠ざかりました。理由は、頭髪の保護のためです。
 これから書くことは、医学的な根拠はまったくありません。あくまで私の実体験から思うことであります。

 学生の頃、レコード屋でギタリストのレコードを漁っていて、あることに気がつきました。
 ギタリストは頭髪が薄い人が多い、ということです。
 クラシック界からいけば、ナルシソ・イエペス、ジュリアン・ブリーム、ジョン・ウィリアムス、セゴビアだってそうだし、まあ、高名なギタリストはほとんど髪の毛がありません。白髪のギタリストっていたかな?と思います。
 ジャズ界でもジョー・パス、ジム・ホール共お見事。ウェス・モンゴメリーは薄くなる前に死んじゃったし、ロック・フュージョン界に目を向けてみてもリー・リトナーやラリー・カールトン、サンタナと皆さん心もとない感じでした。ロックのギタリストは若くしてお亡くなりになっている方が多いのでよく分りません。
 よって当時の私の結論は、「ギターは髪の毛に悪い」
 で、当時の私の髪は、パーマをかけていたせいもあり、人から薄いと言われることはなかったのですが、元々が癖毛で細い髪質であると自覚しており、頭髪の将来に関しては悲観的な思いでおりました。
 気のせいか、モーレツに練習を続けていると髪が細くハリがなくなってくるような気がしました。で、しばらく練習を休むと元に戻るのです。
 大学時代はサークルでギターを弾いていたので、止めるわけにはいきませんでした。毎年、暮れにコンサートがあり、最後のコンサートの後、どうしようか考えました。で、頭髪を優先し、ギターはほどほどにしよう、ということにしました。
 社会人になってからは、パーマは止めましたが、癖毛がいい感じのウエーブを作ってくれ、当時としては比較的めずらしい長めの髪形をしておりました。ギターをほとんど弾かない生活でしたが、そのせいか髪のコシもけっこうあって、当時の写真を見ると髪多いな、と思います。
 で、現在はどうか、と言えば、さすがに若い頃と比べるとコシはなくなってますが、量はあまり変わってないような気がします。その代わり、かなり白くなってしまいました。30代の後半から急速に白くなり始め、今では、多分、私の第一印象は「白髪の人」だと思います。
 ずっとギターを弾き続けていたら、私の頭髪はどうなっていたのでしょう。
 ちなみに、ギター以外ではサックスやトランペットなど金管楽器のプレーヤーは薄毛の人が多く、逆にフルートやクラリネットの木管楽器の方は白髪が多いような気がします。とくにフルートはキレイな白髪の演奏家が多いですね。
 老後を考え、もう一度ギターを弾こうかとも思いますが、待て待てここまでがんばったのだから、ロマンス・グレーを目指して今からフルートの練習でもしようか、とも思う私がいます。
 でも、ギターって最高に楽しい楽器ですよ。演奏家によってこれほど音質が変わる味わい深い楽器はないのではないでしょうか?ギターへの罪滅ぼしに、次回はギターにまつわるもっといい話を書きます。
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2012年03月05日

人生のにぎやかな時

 ユーロ危機も一息をつき、僅かながら米国の景気回復の兆し見えてきました。ユーロも米ドルも幾分値を戻し、世界は静かに安定化の方向へ向き始めた気がします。
 ユーロ危機についても、ギリシャのGDPは神奈川県とほぼ同程度であり、そこが危ないからと言って世界が大騒ぎすること自体が異常でした。
 さて、そのような世界情勢から目を転じて自分の周囲を見渡せば、なにやら奇妙なことが立て続けに起こってます。振り合えってみると、どうやら1月の東京あたりから、何かがおかしいです。友人 I 氏の印象がどこか奇妙だったのですが、その奇妙な世界に私自身も取り込まれてしまったような気がします。いろいろと差し障りがあるんで、奥歯にモノがはさまったような話しか書けませんが、とにかく?印の事象が立て続けに起こっており、ひょっとしてこのままアセンションしてしまうんではないか、という気がしないでもありません。もしそうなら皆さん、お先にさようなら。
 昨日は、久しぶりに隠れ家で過ごしました。
 宮部みゆきさんの「小暮写真館」という小説を持って行って、日がな一日、薪ストーブのそばで読んでました。
 小暮写真館の小暮爺さんは、写真館の受付で亡くなっているのが発見されます。そのあたりの描写で、「人生のにぎやかな時期を過ぎていた小暮さんは・・・」という文章があり、とても印象に残りました。
 人生のにぎやかな時期か・・・、自分はその時期があとどれくらい続くのだろう、と思います。でも、ほんとうににぎやかだったのは、今から数年前かも知れません。例えば、遠野祭りの時期には、八幡神宮のすぐ隣の我が家には、様々な人々が集まり、実ににぎやかでした。仕事の関係者も個人的な知人も分け隔てなく一緒に我が家に集まり、それぞれが普段とはちょっと違う側面をのぞかせ、妙にウキウキさせる時間が流れていました。父や母もその日はとても幸せそうでした。先週の土曜にNHKの連ドラ「カーネーション」のシーンを見て、あの頃の我が家とそっくりだ、と思ったものです。
 時は流れました。あの頃よりも今の方が幸せ、と言い切れる人々はどれくらいいるのでしょう。遠くへ行ってしまった人も、二度とお会いできない処へ旅立たれた方もいます。残った人たちも相応に歳を取りました。
 歳を取ることを恐れることはない、その歳になるまでに為すべきことを為さなかったことが恐ろしいのだ、ということを、随分昔に村上春樹さんが書いてました。ほんとうにそうでしょうか?私はどんな生き方をしていようと、歳を取ることが恐ろしくなる時期は来るような気がします。
 心安らかな老後は存在するのでしょうか?どんな人生を送ろうと、後悔、罪悪感といった負の感情は必ずあると思います。そこに、底知れぬ孤独の念と死への恐怖が加わります。一見、穏やかな様相の老人に内面は、そのような辛い感情がうごめいているのではないでしょうか?
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2011年11月26日

生霊は存在するか?

 FMラジオからアバンティが流れています。市内の現場から戻ってきた職方たちが、日報を書いて、来週の打ち合わせを終え、ボチボチ帰り始めます。ここで間があって、1時間後くらいに遠隔地組(盛岡など)が帰ってきます。その待ち時間にブログを書くことが多いです。特に、冬場の土曜日はアバンティを聴けるのでけっこうお気に入りの時間帯です。
 
 さて、そんな穏やかな書き出しとは裏腹に、今日のテーマは「生霊」です。

 私は、まったく霊感は持ち合わせておりません。にも関わらず、霊というものに対する自分なりの考えを明確に持っております。
 端的に言って、霊とは恐ろしいものか、と問われれば、そんなことはない、と思ってます。但し、亡くなった方の霊に限ってですが。
 霊は当然の事ながら肉体を持っておりませんので、生きている(肉体を持っている)人間に対し、物理的危害を加えることは出来ない、と思ってます。
 この世には、何らかの事情で成仏できなかった霊が至る所で彷徨っているのだろうと、思います。しかし、彼らは日々彷徨うだけで、特に何ができるわけではない、と思います。霊感の強い人にはたまに彼らが見えるのでしょうが、それもただ見えるだけで、だからどうということもないでしょう。先日観た三谷作品「素敵な金縛り」でも霊は東京までタクシーで移動しました。まさにその通りで、霊は移動する場合、自分の足とか、車とか電車でしか移動できません。瞬時に、あちこちに出没する能力は彼らにはありません。霊とは、「一部の人々に、ただ見えるだけの存在」以上のものではない、と私は考えてます。従って、生きている人間の方が、霊よりも肉体がある分、はるかに強いでしょう。
 しかし、それが生霊ともなれば、話は違います。
 生霊とは、生きている人間の念です。これは怖いです。

 バブルの頃、銀座の某高級クラブにお勤めの女性から聞いた話です。
 同僚の女性が、お客様だったあるダンディな歯科医と結婚したのだそうです。
 この話は、その同僚の女性が、後に彼女に教えてくれた話です。

 彼(歯科医)は、猫を飼っており、たいそう可愛がっておりました
 その猫が、結婚後 しばらくして、元気がなくなってきました。ペット病院に連れていっても原因は判りませんでした。
 猫は次第に弱って行き、ある日、彼のそばにヨロヨロとやってくると、じっと彼の目を見つめました。まるで彼に対し、必死に何かを訴えているようだったそうです。少なくとも彼は、そう感じました。そしてそのまま、猫は彼の膝の上で息絶えたそうです。
 彼は、霊とかまるで信じないタイプだったそうですが、可愛がっていた猫のとても尋常とは思えない死に方に、ただならぬものを感じたのでしょう。ツテを頼って、高名な霊能者に家に来てもらったそうです。
 その霊能者は断定したそうです。「女の生霊が来てます」と。
 どこかの女性に恨まれている憶えはないか、という問いに、彼は「もしや、今回の結婚が原因では」と思い、結婚を機に、関係を清算した複数の女性がいたことを、その霊能者と彼の妻(つまり同僚の女性)の前で告白したそうです。複数、というところが、さすが、です。
 ならば、その名前を紙に書きなさい、と霊能者から言われるまま、彼は、数人の女性の名を書きました。「ちなみにその中に私の名前も入っていたそうなんだけどネ」と彼女は言いました。
 霊能者はそれを見て、「この女性だ」と1人の名前を指差したそうです。
 勿論、私にこの話をしてくれた女性の名ではなかったそうです。もし、そうだとしたら、この話、もっとホラーになります。
 つまり、生きている人間の恨みは猫の命を奪うほど強かったということでしょうか?
 生霊(念)というのは、当人ではなく、その家族(一緒に住んでいる人たち)の中で、もっとも弱い(生命力が弱い)者に取り付くそうです。この場合は、猫だったんですね。猫にとっては気の毒な話です。

 実は・・・告白しますが、かつて私自身がこの猫と同じ目にあったことがあります。この実体験こそが、私が生霊の存在を信じる理由でもあります。

 小学校の3年生の冬でした。急に体調が悪くなり、寝込みました。熱が下がっても、だるさは抜けず、病院に行っても、特に悪いところはない、と言われました。我慢できず、時々寝込むのですが、仮病と思われるのも嫌だったので無理に学校に行きます。食欲も落ちました。その後は、人間の体調なんてこんなものだ、これが大人になるということなんだ、と健気にも自分を納得させ、無理して普通に生活しました。でも、時々、快調だった頃を思い出して懐かしみ、同時にこれからの人生を生きる気力が薄れてくる自分を感じ、暗い日々を過ごしてました。
 そして4年生になりました。ある天気の良い日、2時間目か3時間目が終了し、休憩時間に水を飲もうと思って教室を出た、まさにその瞬間でした。ふっと、それまでのだるさ、体調の悪さが、一瞬で消えてしまったのです。あれっと思いました。あらためて、自分の体の状態を見つめ直してみました。確かに、以前の、普通に生活していた頃の体調に戻ってました。心がすっと晴れ、本当にうれしかったです。
 学校から帰ると、すぐに母親に報告しました。母は、普通の顔で「何時頃、そうなったの」と聞きました。私が、それに答えると、ああ、そう、良かったね、とあまり気のなさそうに答えました。
 真実を母から聞かされたのは、二十歳を過ぎてからです。それは次のような話でした。
 当時、我が家を恨んでいる方がいたそうです。その方の念が飛んできて、家族の中でいちばん生命力が弱かった私に取り付いていた、とのことでした。ある霊能者の方からそのことを指摘され、お払いに来てもらい、ちょうど、私の体調が一瞬で回復したまさにその時が、お払いをやっていた時間帯でした。

 この不思議な体験の後、私は生霊を信じざるを得なくなりました。ほんとうに怖いのは、生きている人間の念(恨み)です。仕事で、取引先をいじめたり、お客様に不義理をやっても、自分の会社さえ儲かればいいんだ、と思っている社長さんがいるとします。その時は良くても、後が怖いです。たくさんの念がやってくることは間違いないでしょう。まず、私が最初に念を飛ばします。ご用心ください(コワい)。
 ちなみに、我が家を恨んでいた方ですが、仕事がらみのことではなく、かつ、誤解から生じたことだったようです。今は、私もその方が大好きでとても良い関係になってますので、ご心配なく。
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2011年11月24日

宿敵に感謝する日

 変な題名のテーマですみません。
 で、何を言いたいのか、と言えば、過去、その存在に苦しめられた相手に対し、時を経て感謝できる時が来ますよ、というまるでどこかのエラソーな指南書に書いてあるような話です。
 でも、実際そうです。
 現実社会においても、次から次と敵は現れます。まるで、30年近く前の少年ジャンプの定番ストーリーを地で行くのが現実です。
 そんな新たな敵に出会った時、もっとも自分を勇気付けてくれるのは過去の敵の存在です。
 郷里に帰った時、最初に出会った敵は、何を隠そう我社の従業員でした。
 当時は、20代の職人がいちばん多く、かつ皆、茶髪をなびかせた一癖も二癖もある連中でした。
 そんな若い連中が好き放題の言動、行動を行い、年配者たちがそれにひどく気を使って一歩引いている、という状況でした。当社の駐車場はそんな若者たちの派手な車がズラリと並んでました。
 どうやらバブルの頃、なかなか若い働き手が集まらず、若者を大切にしなければ、という気風が社内にあったようです。
 そこに30代半ばの一応、組織人として常識を学んできた人間が突然入ったわけです。郷に入れば郷に従え、とは言いますが、さすがに限界があります。世の中には最低限の規律というものがあります。そこからさえ逸脱する行為に対して、私は目をつぶることは出来ませんでした。そして、若者たちとの対立が始まりました。私もコワモテだったら良かったのですが、残念ながらその対極の線が細いタイプだったため、最初は当然のように舐められまくりました。
 思えば長い戦いの日々でした。そんな時、折れそうになる心をもっとも支えてくれたのは、過去の記憶でした。意外にもそれは誠意を持って指導してくれた人の記憶ではなく、徹底的に対立した人々、時には心底憎しみを感じていた人々との戦いの記憶でした。とにかくいびりまくられた制作サイドのボスとか、訳分からんクライアントの担当者とか・・・。そんな過去の敵たちとの日々、自分はあの戦いを戦い抜いた、という思いが、私の闘志を呼び起こし、田舎のワカゾーなんぞに負ける訳がない、という気になってくるのが不思議でした。そしてもっと不思議だったのが、その時思い出す大嫌いだったあの顔、この顔がとても懐かしく、ああ、あの人たちが自分を実戦でここまで鍛えてくれたんだな、こんなに恨まれてまで、と思うと、彼らに対し、心から感謝の気持ちが湧いてきたことです。ウソじゃありません。あの気持ちはまぎれもなく感謝です。変な人生指南書みたいなこと書いてますが、ホントです。

 一歩も引かない戦いの中で、何人かの若者が会社を去りました。終戦は2000年の春頃でしょうか。今、残っている当時若者だった職人は、それでも私に付いて来てくれた連中です。1人(ギリギリ29歳)を除き、皆30歳を過ぎました。
 そして、去っていった者たちに対しても、いつか感謝の思いをこめて懐かしく思い出す日が来るでしょう。でも、その時は新たなる強敵が目の前に居るのかな?(タメ息)
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