2016年10月11日

組織変更と役員交代について

 弊社はこの8月に有限会社から株式会社へ移行いたしました。
また、私、沼太英雄士(沼田弘)は、9月1日に代表取締役を退任いたしました。新代表は、長年、社員の筆頭として会社を支えてきてくれた菊池孝己(きくちこうき)です。
 HPの更新がまったく出来ておらず(社名も旧のままになっております)誠に申し訳ございません。さすがにこのままではまずいと思い、私のブログの方で先行して組織変更と役員交代について書かせていただきました。

 ここ数ヶ月は会社の変更に関わる作業と、プライベート面の変化に忙殺され、訳が分からない日々を送っておりました。まあ、オーナー経営者というのは普通の勤め人と比べ公と私の連動度合いが大きいですから仕方がないことではあります。

 私は今年55歳になりましたが、この年齢で会社の経営を従業員に委譲するケースはあまり多くないかもしれません。別に体調を崩したわけでもなく、経営が苦しいわけでもありません。そもそも経営が苦しい会社の代表など引き受けてくれる従業員はいないでしょう。

 実は、かなり以前から代表権を他者に渡す可能性は視野に入れておりました。2014年頃(このブログの更新頻度が鈍ったあたり)から、いよいよその可能性が現実味を帯び、そこに向け必死で取り組んできました。ブログの更新は忙しくて出来なかった、というよりは、この大仕事を終えるまではあえて書くまい、と心に決めていたためでもあります。

 言うまでもなく、会社の事業承継は本当にたいへんな仕事です。「後工程はお客様」という有名な言葉がありますが、後を任せるためには、まず「任せられる状態=やってもいいです、と言ってもらえる状態」を作らなければなりません。私の場合、そのために具体的に動き出してから今日まで約15年かかりました。自己流ではありますがデューデリジェンスを行い、様々な角度から会社の抱える問題点をあぶり出し、そのひとつひとつを解決してきたわけです。

 振り返れば気が遠くなるような作業でした。40歳代から50歳代半ばという知識・経験・体力のバランスが取れた時期だったからこそ乗り越えられたと思います。今からもう一度同じことをしろ、と言われたら、たぶん無理です。

 言葉にしたいこと、伝えたいことは山のようにありますが、やはりそこは節度を保つべきでしょう。もっともこのブログ自体、あまり節度を持って書かれてきたとは言えませんが・・・。

 ブログのことに触れたついでに、このブログを始める時に考えていたことについて最後に書かせてください。

 企業のHPで経営者やスタッフの方々がよくブログを書いておりますが、当時、私はそれらを読んでどこか納得いかないものを感じておりました。
 どのブログも、会社の経営は常に順調、社員も明るく働き甲斐を感じ、労使関係も良好、何の問題もなくただただハッピー・・・という内容ばかり。
 それってウソっぽくないですか?
 もっとも会社のHPのブログの目的は所詮広告宣伝なのでしょうから、いちいちそんなことに目くじらをたてることもないのでしょう。読む方だってそう思って読んでいるのでしょうから。
 しかし、私は受け入れられませんでした。そこに漂うあざとさが嫌でした。
 楽な仕事なんてありません。現実は甘いものではありません。それを真正面から受け止めて悩む様を正直に表現する方が信頼してもらえるのではないか、と考えました。そしてまた、無意味に明るく前向きな話は、時に人を落ち込ませます。真摯に生きる人々の共感は得られません。

 「屋根の上の散歩者」は会社のHPのブログとして、時に踏み込んではいけない領域にまで踏み込みました。ちょっと反省する部分もあります。齢の割に青っちょろいこと書いてるな、と思った方もいると思います。しかし、私は昨日、小田急線に乗って参宮橋を通過するあたりに突然人生の真理のひとつに気がつきました。それは「正しい生き方とは何か」という命題の答です。

 「正しい生き方」とは?
 それはおぎゃ〜と生まれてから死ぬまでの人生の過程で、それぞれの年代だけに与えられた特有の輝きや美徳をその年代を過ぎた後も保ち続け、かつ、それぞれの年代が持つ欠点をきちんと克服しながら年輪を重ねることです。例をあげれば、常識をわきまえた大人なのにふっとした瞬間に少女の頃の可憐さを垣間見せる女性、身も心も充実していながら、時に少年のような好奇心と青年のような正義感で行動する男性、といったところでしょうか。

 あっさり終わるつもりが長々と書いてしまいました。すみません、今日も節度が足りなかったかなあ・・・。

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2016年01月14日

リスク社会を生きる

 ブログにコメントが届いており、私自身、久しぶりに自分のブログをのぞいたのですが、1月に書いて投稿していなかった記事を見つけました。その時は内容に納得がいかずに投稿を止めていたのでしょうが今読んでみるとそんなに悪くもないようなので、若干手直しをしてUPします。以下、その記事です。


 2014年の7月頃、このブログで「リーダー受難の時代」と題する記事を書かせていただきました。
 その時、カミさんの知人からカミさん宛に「ダンナさんのこの間のブログなんだけど、具体的にどういうことなんでしょうか?」と問い合わせ(確か、フェイスブックか何かで)があったようです。
 そこで今回は、1年半ぶりにその続きを書かせていただきます。但し、具体的に書けるか?となるとちょっと自信ありません。あしからず。

 現代社会を生きる我々は今、あらたな課題に直面しています。それは、経済活動の中で生じるリスクをいかに分配するかという問題です。
 昔むかし、つまり世間がまだ貧しくモノが無かった時代は、人々はモノが手に入るだけで有り難かったはずです。よって、そのモノの品質にはあまりこだわらなかった。消費者は、仮に粗悪なモノを手にしたとしても、まあこんなモンだろう、という程度の不満で済ませていました。つまり、消費者はモノの品質に納得がいかなかったり、そのモノによって何らかの害を被ったとしても、その責任をモノの供給者に問うことは稀であったわけです。別の言い方をすれば、モノの生産から消費に至る一連の経済活動において生じるリスクの100%を、消費者が担っていた、ということです。

 それではモノがあふれる現代社会においてはどうか?

 現代の消費者は泣き寝入りなどしません。正当な要求であれば堂々と主張しますし、中にはとても正当とはいえない過剰な要求を供給者側に迫る人々、いわゆるモンスターと言われる人々も存在します。
 そうなると供給者側もそれぞれに自己防衛に入ります。
 小売り、流通、卸し、生産者、生産者への材料の供給者、その流通、卸し・・・と果てしなく続くラインの中で、それぞれがリスクを避ける行動を取ります。その過程である程度のリスク要因は排除できますが、何事にも完璧はありません。最後まで排除できずに残ったリスクは最終的に誰かが引き受けねばなりません。それを誰がどの程度引き受けるかを決めること=「リスク分配」がここで行われます。

 問題は、この配分が経済活動における力関係で決まってしまうことにあります。つまり、リスクは立場の弱い下請けの中小零細企業に集中します。

 そもそもリスクを負う、その責任を負う、とはどういうことでしょうか?
 リスクを負う以上、そのリスクの担い手にはある程度の責任負担能力が要求されます。したがってその能力のない人や企業に幾ら責任を押し付けても意味はありません。被害者は損害の賠償を求めているわけですから。
 現実は、生産から流通に至るチェーンの中で、一方からは力関係、もう一方からは責任負担能力はあるのか?という観点から、誰が責任負担(損害賠償)をするのか、が決まってしまいます。つまり「弱者の中にあって、かつそのリスクを担う能力のあるポジションにある人や企業」が真のリスク負担者になるわけです。

 私は、このポジションに該当する人や企業こそが本当の意味で社会を支えていると思ってます。本来であれば我々国民全体で守り大切にしていかなければならない「人」であり「企業」です。問題は言うまでもありません、そのような大切なところに、リスクが集中している点です。

 さらに、現代社会における経済活動は、モノの品質以外にもかつては存在しなかった(存在はしていても顕在化していなかった)様々がリスクを発生させました。それは環境リスクとコンプライアンス(労使問題も含む)リスクです。


 ここまでの私を論を読んだ方から、お前は実際にいい加減な仕事をしたりミスした人や企業を庇うのか?ヘマした奴が責任取らされて当たり前だろ、といった反論が想定されます。
 勿論、その反論は正論と思います。
 しかし、実務者の立場から一言言わせてください。

 今後、このような責任追及の厳格化が進めば、人々は、ヘマが問われる業務には誰もつかなくなります。つまり、我々の生活にとっていちばん大切な部分(モノをつくったり、建てたり、新しいモノ考案したりといった実業)の担い手が減り、リスクが少ない、手が汚れない業務ばかりに人が集中することになります。それでは世の中、成り立ちません。

 我々はここで原点に戻ってみてはどうでしょうか?
 私が思う原点とは、経済活動に関わる各々がそれなりのリスクを負う覚悟をする社会です。
 そこでは当然のことながら消費者もリスクを分担します。
 そもそも世の中は不完全なものであり、人はミスを犯すものであることを受け入れる社会とも言えますね。
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2012年09月17日

2度目の特許出願完了

 今は9月18日午前11時半です。昨日書いた内容に下記の通り大幅な訂正があります。
 @今回申請した特許が公開になるのは(電子図書館で閲覧可能になるのは)1年半後でした。
 A審査請求は出願から3年以内であればいつでもできるそうです。
 先ほど別件で弁理士さんと話した時に、念のため訊いてみたら私の認識に相当な誤りがあることが判明しましたので、訂正箇所を冒頭に書いておきます。そんなわけで下記の文章は間違いだらけではありますが、それもまた私のズボラな一面ですので、そのまま残しておきます。では、今から盛岡です。行ってきます。

(訂正前の記事)
8月末に棟瓦の耐震補強金具についての特許出願が完了しました。3月10日のブログの冒頭で書いた金具です。私にとってはふたつめの出願になります。前回同様、審査請求をおこして、丁寧に事を進め、特許取得に至りたい、と思ってます。 前回取得の特許は、業界人でさえ分りにくい内容でした。棟瓦の倒壊のメカニズムを理解していないと工法の意味するところがつかめないのです。残念ながら同業の瓦屋さんでも、説明してわかってもらえないケースが多いです。当社の従業員は日常的に現場でこの特許による工法を実施してますから、充分その利点を理解してます。何よりも効率的(仕事が楽)なのです。強くて軽くて作業性が良い、抜群の工法なんだけどなあ・・・。
 一方、今回の特許は実に分りやすいです。興味のある方は、もうしばらくしたら特許庁の電子図書館にアクセスして、例えば「沼田 弘 瓦」と入れて検索してみてください。今日の時点ではまだUPしてないようですが。(←この文章マチガイです。UPされるのは1年半後でした。失礼しました。)
 特許の業界(って言ったらよいのかな)というのもいろいろとクセがある世界みたいで、エンジニアのY君は自分で申請文書を書いていたくらいですから裏事情に詳しいです。
 審査請求は1年半後になりますが、今回は極めて分りやすい「独自性」と「新規性」を持っているので、どんな反論が返ってくるのか、ちょっと楽しみではあります。
 もうちょっと余裕が出来たら、製品開発まで進み、製品として売出しも視野に入れてます。乞うご期待。
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2012年01月21日

自社職人を抱えることの意義

 昨年12月6日に書いた記事「10年後、現場で働く人間は残っているか」で、最近の建設業界では自社職人を抱えない会社が増えている、と書きました。今日は、そのことで生じる問題点について掘り下げてみたいと思います。精神論、キレイごとを書く気はありません。どこまでも実利的な話をします。
 その前に、基本的な業界の構造について。
 ハウスメーカーや工務店、いわゆる元請会社に家づくりを頼むと、基礎工事から大工、外装、内装、水道・電気設備に至るまで、その会社の同じ職人さんが全てやっている、という誤解が案外多いものです。
 そういう私も16年前、郷里に戻り、この仕事に関わった時は、建築に関わる工事の区分け、つまりどんな工種があって、それがどのように組み上がってくるかが分かっていませんでした。
 もっとも、34歳の社会人経験を積んだ人間だったので、それまで生きてきた広告業界の構造と照らして、すぐに理解はできました。

 広告代理店=元請会社(ハウスメーカー、工務店) 
 広告制作会社、印刷所、編集所=専門工事店
 プロデューサー・ディレクター=建築士、現場監理員
 デザイナー、コピーライター、イラストレーター
 カメラマン、印刷、編集等の各専門職=基礎、木工事、屋根、水道、電気、内装等の各専門職

 というような感じでしょうか。広告業界も建築業界も基本的にオーダー・メイドという共通点があり、システム的には意外と似た業界かもしれません。蛇足ですが、最大の相違点は、広告業界は制作したものが、世に出て間もなく消え去ってしまう宿命なのし対し、建築業界は仕事の結果が何十年単位で残ることです。虚業と実業の違い、と言ってしまったら広告業界から怒られてしまうでしょうか?

 前置きが長くなってしまいました。本題に戻ります。
 建築業界におけるもっとも大きな問題は、自社職人を抱えない元請会社の乱立にある、と考えます。これは施工品質に大きく関わってきます。
 現場では多かれ少なかれ想定外の事態が発生します。そのリカバリーには当然経費が発生します。
 外注職人の場合、その手間賃はほとんど坪幾らといった数量単位で決められています。当然、余計なことに労力を使いたがりませんから、想定外のことが発生しても他人事としかとらえません。賃金を払う方も、これをやってくれたら追加で幾ら払う、といったような細かい管理は、現実問題として不可能です。したがって問題が放置されたまま現場が進行しがちになります。このような大小の問題が積み重なって住宅が完成します。良い家が出来るわけがありません。
 逆に、自社職人(大工さん)を抱えている工務店ではどうか?基本的に業者同士も顔見知りですから、「ここどうすっぺ〜」と気楽に棟梁さんに声を掛けます。そこで大工さん側にその対応のため追加で何か作業が発生しても、社員である大工さんは月給で貰ってますから、手間がかかってもその分、自動的に会社が持ってくれます。よって「わがった、こうせばいいんだな。やっといてやっからよ」と気持ちよく対応してくれます。
 現場では日々このように誰かが追加で手を加えなければならないことが発生します。その部分をカバーしてくれるのが、多くの場合、元請会社の社員職人さんたちです。
 ちなみに当社の場合。職人は、全員正社員です。月給制で社会保険等福利厚生完備です。現場で、ちょっとここはまずい、やり直し、となっても、こちらが正しい指摘をしているのであれば職人は気持ちよくやり直しします。その分のロスは会社が負担します。以前は私も、これは職人に対する甘やかしではないか、と悩んだ時期もありましたが、今は割り切ってます。それよりもそのようなミス、考え違いがおこらないよう日日、研鑽することです。また、ダメ工事を指摘するのはただでさえ嫌なものなので、監理者の精神的負担も考慮しなければなりません。やり直してもその間の賃金はちゃんと払う、ということであれば、監理者も職人に率直に言い易い。ミスが放置されることを防ぐ、大事なのはその1点です。加えて健全な人間関係の維持。マネジメントの観点からも、自社職人体制は合理的と思います。私も過去何度か、自社職人を抱えていて良かった、と心から思ったことがありました。
 話は戻って、逆に全て外注で回している会社は、この対極にあります。つまり、ミスの放置が続出、その指摘をキチンとすれば、追加手間賃の問題の発生、そこでもめれば人間関係の問題が発生します。結果、現場はギスギスし、殺伐とした空気が漂い始めます。私も、過去、そのような現場を経験しましたが、結局そのような会社と当社は水が合わないみたいで、関係は長続きしませんでした。逆に、そういう会社とばかり相性の良い工事店もあり、不思議に思って見てます。同じ考えだから気が合うのか、相当我慢しているかのどちらかでしょう。
 最後に、書き添えておきますが、本当の大手一流のハウスメーカーで、全て外注工事店を使いながら、こういった問題を相当レベルでクリアしている会社があります。建物の設計、部材開発の段階での完成度が高く、現場での不測の事態が発生し難い、外注業者会の結束が強く、現場での意志疎通が良好であるためと思います。私も、その会社からは多くを学ばせて貰い、当社にとっては長いお付き合いが続いている数少ない大手ハウスメーカーです。
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2010年05月27日

地熱発電の可能性

 今日も雨。板金チームは工場で加工作業。瓦チームは全員現場に出ました。朝よりは小降りになってきました。午後には上がるでしょう。
 さて、今日は地熱発電について書きます。
 現在、国内の電力の30%は原子力発電に頼っています。原発の発電単価は8〜9円/kwhと言われていますが、ここには、放射性廃棄物の処理費用や、老朽化した原子力発電所の解体費用は含まれていません。ある試算によるとそれらをすべて含んだ上であらためて単価を計算すると100円/kwhにもなるそうです。もっとも放射性廃棄物の処理方法がまだ確定していないのですから、その費用を算出すること自体に無理があります。
 原発はそれら廃棄物処理を先送りしなければならないという問題と、事故が発生した場合の被害の甚大さを思うと、出来るものなら頼りたくない発電方法です。私が1998年から太陽光発電に取り組み、まず自宅の屋根に設置したのは、原発に反対の立場を取るなら、せめて自宅の電気だけでもその消費量の30%以上は自分でまかなおうと思ったからです。
 もちろん、気候に左右される太陽光発電や風力などの自然エネルギーだけで原発の代替には到底なり得ません。安定的な電力供給の可能な発電方法は他に無いものか?そこで注目なのが地熱発電です。
 地熱発電所1基あたりの出力はせいぜい5万kW程度のようです。国内の原発の総出力は45,000MW(=4500万KW)とのことですから、地熱発電所900基に相当します。一県あたり20基程度作らなければならない計算になります。
 高温岩体発電という技術を使えば、理論的には国内のどこでも地熱発電を稼動させることができるようですから、原発に代わる発電設備としての可能性は高いといってよいのではないでしょうか。
 日本は肥沃な大地と水に恵まれています。加えて安定的な純国産エネルギーを開発できれば、我々国民にとって将来に向けての大きな自信となります。
 私は、日本ほど恵まれた、可能性に満ちた国はないと心から思っています。
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2010年05月26日

好景気の作り方

 ギリシャ発の経済不安が渦巻いてます。以前から懸念されていたことですが、通貨統一した場合の弱点がモロ露呈しました。史上初の大実験と言われたユーロ経済圏構想はやはりこのまま崩壊して行くのでしょうか?
 もともとサブプライム問題からリーマン・ショックに至る過程で、深手を負ったのはアメリカよりもむしろヨーロッパである、とも言われています。ユーロ圏全体のGDPに対し、ギリシャのGDPはわずか5%(確か?)程度と思ったのですが、その程度の国の経済破綻でユーロ圏全体がこれほどガタガタするのは、その以前からの痛手が災いしているのでしょう。本当に恐いのはそちらの方です。残念ながらまだリーマン・ショックは終わっていません。
 嫌だな、と思うのは、ギリシャがあんなになって、ならば国の借金が1000兆円(GDPの2倍)もある日本も危ない、などど言い出す人たちです。
 日本の借金はほとんど国内での借金です。対外債務はわずか5%。国債が償還を向かえたら、その資金は再び国債を発行して調達し、基本的に元本分は借りたまま、金利のみを払っていけばよいはずです。
 元本については、とにかく早く不況を脱却し、穏やかなインフレを起こすことで自然に減ってゆくでしょう。
 国家予算にしめる税収が半分以下というのは確かに困った話です。しかしここで緊縮財政を行うのは愚の骨頂でしょう。財政再建のためには好景気を呼び、税収を増やすしかありません。緊縮財政を行いたければ好況時に行うべきです。
 不景気という状況を端的に言い換えれば「お金の流れの止った状況」です。どんなにお金や財が市場にあふれていてもそれが流動しなければ不況を脱せません。
 逆に言えば、そこで流れさえ起きれば即不況を脱せます。日本人の個人金融資産は1400兆円という莫大な金額です。それが一気に流動すればあっと言う間に好況になります。
 それが起きない訳は、皆、将来が不安でお金を使おうとしないためです。本当に景気とはよく言ったもので、ほとんど気分の問題なんですね。
 さあ、みんな、怖がる事はない、ドント・ビー・アフレイドです。使える人はどんどんお金を使いましょう。小雨の朝に、アストラッド・ジルベルトのささやきを聴きながら我思う。BGMは「ジェントル・レイン」
 
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2010年05月16日

「信じること」と思考停止の関係

 先日、ある人との食事の席での会話。話題は例の普天間問題へ。
 「5月決着の件で鳩山さんたいへんそうだけどわりと平気な顔してるじゃない。あれってたぶん絶対大丈夫って神がかり的なアドヴァイスをしている人がバックにいるんじゃない?」
 なるほど。
 政治家や経営者など判断の重責を日々担っている人たちが、高名な占い師などに相談するケースが多いとはよく聞きます。その気持ちもよくわかります。すべてを見通す天の声でお墨付きをもらえれば、誰だって強くなれます。
 経営者の集まりに顔をだすと、有名なコンサルの〇〇先生に心酔している、とか〇〇会という経営者としての修練をおこうなう組織で活発に活動している、という方たちによく会います。
 その方々の共通点は、圧倒的なポジティブ思考。
 彼らは、会社は常に絶好調、社長は従業員に慕われ労使関係も良好、という話をします。まったくもってすばらしいのですが、話していると疲れます。間違ってもこういう方々に悩みの相談やグチなどは言ってはいけません。100%落ち込まされて帰途につくことになります。挙句の果て、彼らが心酔している「団体」へ入会を勧誘されます。

 カミさんが買ってきた本をなにげに手にとってみると、佐藤優著の宗教に関する本でした。適当に拾い読みしていたらギョッとする文章に出会いました。細部は忘れましたが、確かこんな内容です。
 「神を信じることで人は絶対的な心の平静を得、その為には命さえ犠牲にする。わが身を犠牲にできるようになった人間は、平気で他人の生命を奪うこともできる。それが宗教戦争である」
 信じることって一歩間違うと怖いなあと感じました。

 今、天から神が舞い降りて来て、「全財産を私に預けなさい。さすれば貴方は今後、一切のリスクがなくなり、あなたの望むすべてをその人生において実現します」と言われたら、貴方ならどうしますか?
 あまのじゃくの私には、何かを強く信奉している人って、思考停止状態にあるように見えてしまいます。
 経営者が陥ってはいけないのは、考えることを放棄することではないでしょうか?
 疲れますけどね。
 
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2010年05月15日

再び、清々しい5月の土曜

 タイトルの書き出しで始まった当ブログですが、季節はめぐり、またあの日と同じ日差しの朝がきました。暦をみると土曜日。ひさしぶり(8ヶ月ぶり!)に書きます。
 思えばいろんなことがあった一年でした。昨年夏以降、人手不足で四苦八苦し、社外に応援を頼んでなんとか乗り切ってきました。おかげさまで冬場も仕事が切れず、その代わり今年は薪作りがほとんど出来ませんでした。GW明けからは2名増員し、体制の強化を図りました。
 ショールームの屋根は今年の3月にやっと葺き替えが終わりました。今度は明るいオレンジ系の瓦です。展示については、太陽光発電3社(シャープ、京セラ、三洋)の発電比較をはじめとして、輸入薪ストーブ、屋根材コーナー、外壁材コーナー、ファブリックコーナーを設けましたが、外壁、ファブリックはまだまだ中途半端な状態です。ファブリックに関しては輸入物を中心に見応えのあるラインナップをそろえる見込みですのでもう少々お時間をください。
 太陽光については三菱の施工IDも取得しました。モジュールはもちろんシステム機器すべてが鉛フリー、価格も手頃でお奨めです。分電盤との接続点の問題は各社見解が異なりますが、三菱は明確に「分電盤の一次側接続を推奨」と言い切っており納得がいきます。
 皆さんから、ショールームがいつ行っても閉まっている、と言われます。申し訳ありません。土日は私かカミさんが店番してますが、平日は私も出歩くことが多く、なかなか人を配置できません。事前にお電話いただければ助かります。
posted by walker at 12:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 経営・ビジネス