2014年06月21日

過労死について考える

 過労死防止法が成立しました。またひとつ新しい法律が誕生したわけです。

 過去の記事「憲法と法律」でも書きましたが、基本的に「法律」は国民の自由、権利、財産を制限するものです。もちろん「法律」によって守られる人々もおりますが、その一方で、自然権の一部を剥奪される人々も出てきます。究極の表現をすれば、「法律」は国家のために存在します。もっと具体的に言えば、「法律」は役人の都合の良いように作られます。だから役人の勝手をさせないために「国会」は国民の代表である議員でもって構成され、その組織は「立法府」と呼ばれます。法律に縛られるのは国民だからこそ、その国民の代表に法律を成立させる権限を持たせなければフェアではない、という崇高な思想がそこにあるわけです。今の日本ではほとんど形骸化しておりますが。

 今回は、法律の概念の話ではありません。過労死が起こる原因の話です。

 過労死が起こる根本原因は、2つです。
 納期と品質です。
 さらに品質には2タイプあります。必要十分品質と過剰品質(もしくは勘違い品質)です。過剰品質を求める人が個人の場合をクレーマーと呼びます。

 どんなに仕事が殺到しても「納期」という制限がなければ過労は発生しません。疲れたから休むね、その分、ちょっと納品が遅れるから待ってね、と言えば良いわけです。
 それでも、「この納期だけは絶対だよ」と言われた場合は、品質を落として調整します。但し、クリアしなければならない最低のレベルだけは維持します。それが必要充分品質です。製品であれば実害のない部分(美観など)から順に削って行きます。

 しかし、困ったことに日本人は真面目です。その中にあって私、沼太英雄士は「真面目過ぎる」と言われます。一体、私はどれほど恐ろしい人間なのでしょう。

 東日本大震災の年、福島県で瓦工事店の社長さんが二人、自殺しました。あまり知られていませんが業界では有名な話です。原因は、殺到する修理依頼をさばききれず、かつ、中には、怒鳴り込んでくるお客がいたりして精神的・肉体的に追い詰められたためでした。実に痛ましい話です。このお二人は間違いなく過労死です。但し、経営者が過労死しても法も誰も守ってくれません。

 人間、命を犠牲にしてまでやらなければならないことって、無いとは言いませんが、そんなに多くは無いですよ。これは私の信念です(ちょっと大袈裟かな?)。

 震災の時、私は従業員に過剰な無理はさせませんでした。もちろん、精一杯頑張りましたが、自分で決めたあるレベルを越える無理は、絶対にさせませんでした。
 まず、電話。鳴り止まない電話への対処方法は、「今出ている1本の電話に集中しなさい」。
 電話中に別な電話が鳴り出すと、人手が足りず、ついつい今の電話を早く終わらせ、次の電話に出なければ、という強迫観念にかられます。私の指示は「どうせ出られないならその鳴っている電話無視しなさい。仕方ないから。それよりも今電話で話している相手から必要な情報を確実に入手しなさい」。結局それがもっとも効率的な方法なのです。

 また、震災直後のある日の電話。
 「早く修理に来ないと雨が降ったらどうするんだ!雨漏りしたらどうするんだ!」
 それに対する「真面目過ぎる男・沼太英雄士」の答弁「雨漏りしても晴れれば乾くから問題ありません」
 もちろん、私は悪者です。言われた方は相当腹が立ったと思います。ちなみに当時、弊社の鉄骨造の倉庫も母屋が折れ曲がり、屋根材が落ちてました。修理したのは震災から2年後です。

 お客様はもちろん大切にしなければなりませんが、同じくらい従業員だって大切です。自社の仕事に誇りを持てるのであれば、過剰なお客様満足度を追及するあまり、そのしわ寄せを従業員や取引先に押し付けるべきではありません。そして、過労死を生むのは、従業員や取引先に無理を強いる経営者の責任である以上に、消費者である我々一人一人の態度であることを肝に銘じるべきです。

 結論。日本人はもっと緩く生きた方が良いと思います。そして、もっともっとお互いを許し合えれば良いなあ、と思います。それがいちばんの過労死撲滅方法と、真面目過ぎる私は考えるわけです。

 
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2014年06月16日

田舎の年収300万は東京の年収1000万に相当する

 長いタイトルですみません。 ここ数年、首都圏在住の友人たちと話していて感じたことを書きます。かなり大雑把な数字を入れてますので、細かい点はご勘弁ください。

 テーマはお金です。
 田舎で年収300万の暮らしと、東京で年収1000万の暮らし。どっちがゆとりがあるでしょうか?

 私は50代の前半ですが、同年代の都会の友人たちは、ほとんど家を建ててしまいました。土地込みで6000万ほどかかったみたいです。田舎の感覚からすれば、どんな豪邸かと思いますが、まあそれなりに立派な家なのでしょうが、豪邸というほどでもないでしょう。ちなみに盛岡あたりで大手ハウスメーカーで建てれば、土地込みで3200〜3900万がいいところでしょう。
 それと、首都圏では中学くらいから私立に通わせることがけっこう普通みたいです。学費は、中学も高校も1年で100万近くかかるんですね。それまでにも塾に通うので出費がかさむみたいです。

 当社の従業員で、住宅ローンを抱えているのは、18人中1名です。他の従業員は、私も含め親と同居しており、おそらく今後、自分で家を建てる予定はない、と思います。私もありません。

 田舎では、奥さんもほとんど働きに出てます。もともと農家の考えの延長にあるのでしょう、嫁が家事以外の労働をしなくてよい、という思想は田舎にはありません。専業主婦というのは、都会的ライフスタイルだと思います。

 また、田舎はほとんど通勤時間がかかりません。それは仕事にかかわる拘束時間がそれだけ短いということです。東京では通勤片道1時間は当たり前。往復で2時間から3時間は普通でしょう。
 その点、田舎の通勤時間は、5分から長くて20分です(当社の場合ですが)。
 兼業農家も多く、朝仕事を終えてから会社へ、という従業員もおります。当然、農業収入もあり、野菜も自前で調達できますので食費も浮きます。お米をわざわざ買っている従業員はたぶんいないと思います。

 田舎の方がお金がかかるものがひとつだけあります。車です。ほとんどの家に、数台の車があります。通勤や買物に必要ですから、生活必需品であるわけです。

 さて、ここまでの条件で生活のゆとり度を比較してみましょう。
 
 まず、東京の年収1000万のサラリーマン。奥さんは専業主婦とします。
 家のローンが月20万として年間240万。
 子供二人で、どちらも私立だと学費が年間200万。
 お金を生まない通勤時間を労働収益(時給1000円のアルバイトをしたとして)に換算して、往復通勤2時間のサラリーマンで1日2000円×230日=46万。
 これらの合計486万が都会生活のコストです。
 年収1000万だと、手取りはよくて800万くらいでしょうか?
 では、その手取り800万から都会生活コスト486万を差し引くと、314万円です。これが実質的に自由になるお金です。

 一方、田舎の年収300万。手取りは、250万くらいかな?
 田舎では、高校までほとんど子供は公立に通います。授業料自体はそれほど大きな負担ではないでしょう。その他の都会生活コストもほとんどかかりません。余分に必要な車といっても軽自動車かヴィッツとかのクラスです。メイン車の他にそれらが1〜2台。維持費が年間燃料代を入れて約40万。学費と合わせて60万くらい差し引けば、都会の年収1000万サラリーマンと比較可能でしょう。
 そうなると、190万円が自由になるお金です。

 ここで表に出ない数字があります。ほとんど0に等しい通勤時間の余裕が生み出すプラス面です。都会のサラリーマンが時給1000円で2時間働いた場合に相当する収益です。それは農業収益だったり、本来お金を払うべきところを自分の労力で済ませた場合であったりします。したがって、比較のため、都会の年収からその分46万を差し引いてあったわけです。

 都会派は314万。田舎派は190万。124万の差があります。この差を埋めるのが、田舎の奥さんの収入です。非課税枠の110万で奥さんが働けば、その差は14万まで縮まります。奥さんがもうちょっとがんばって働いて、年収130万くらいになれば、ほぼトントンになります。
 つまり、都会の1000万プレーヤー、お子さん二人で私立、奥さん専業主婦というカッコイイ家族と、田舎の年収300万、お子さん二人公立、奥さん共稼ぎ年収180万の家族は、金銭的なゆとりはほぼ同等です。

 さらに言えば、田舎は親との同居がほとんどです。だから奥さんが働きに出れるわけです。そして、親には年金があります。お父さんが厚生年金に入っていれば、年額200万は超えるでしょう。親が元気であれば、老人の生活費はそれほどかかりませんから、可処分所得として100万近く加算して良いでしょう。そうなれば、田舎派は都会派に圧勝します。もちろん、期間限定ではありますが。

 都会生活のコストを一言で表現すれば「見栄張りコスト」です。会社の同僚や上司、部下、友人、ご近所さんやママ友の間で、ついつい比較してしまうのでしょう。人間ですから当然です。見た目にも気をつかいますから、洋服代にかかる費用も田舎の比ではありません。他人との比較で、日々、心穏やかではありませんね。

 その点、田舎は開き直ってしまえば、ほとんど生活にお金がかかりません。要はその生活を受け入れられるか否かです。人それぞれの好みの問題でしょうね。
 
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2012年11月01日

議会制民主主義の限界 その2

 御無沙汰してました。久しぶりに更新いたします。話題はカタメで行きます。 
 以前「議会制民主主義の限界」と題する記事を書きました。今回は別の角度から、現代社会においてなぜ政治がうまく機能しないのか、について書いてみたいと思います。湯浅誠氏の著作「ヒーローを待っていても世界は変わらない」にインスパイアされての記述ですが、あくまで私の意見として読んでいただければと思います。
 まず、「議会制民主主義はベストな社会を作るには向かない制度である」と認める必要があると思います。ベターな社会を目指すことも困難と思います。別の言い方をすれば、「議会制民主主義とはワーストを回避するにはもっとも優れた制度である」ということです。
 以前、管氏が総理だった頃に「最少不幸社会」という表現をしましたが、実はあの言葉は議会制民主主義の悲しい本質をズバリ言い当てたものだったかもしれません。
 今の政治には「強いリーダーシップ」が求められています。経済界を見渡せば、強いリーダーシップを持った人材はゴロゴロいます。ソフトバンクの社長さんとかユニクロの社長さんとか沼田製瓦の社長さんとかとにかくいっぱいいます。
 では、そういう方々が総理をやれば上手くいくのか、といえばまず絶対ムリです。
 企業経営は基本的に志を同じくする者、利害が一致する者同士が組織を組んでコトにあたります。
 政治の場合は、主権者全員の意見が一致すること、すべての主権者の利害が一致することなどあり得ません。よってリーダーは自分が取りたい政策に賛成する人々よりも、むしろ反対する人々の意見を調整することに時間を取られます。ここが、企業経営と政治の最大の違いです。結果、大胆な政策が選択されることはなく、反対意見を調整する過程で骨抜きにされたような政策が出来上がります。したがってその効果には限界がありますが、少なくとも誰もが「それはないだろー!」と悲鳴をあげるような最悪の状況だけは回避されるでしょう。これもまた議会制民主主義の限界と言えます。
 長いこと政治家をやっていればそんなこと分っていて当たり前なのに、80歳にもなってまだ「強いリーダー」を演じたい方がいるようです。今まで何を学んできたのでしょう?
 私は基本的に調整ごとが苦手なので政治の世界は嫌いです。できるだけ近寄らないようにしています。でも主権者として意見だけはいつでもキチンと表明したいと思ってます。それでも私にとって不本意な形で世の中が動いたとしてもそれは仕方のないことです。だって、議会制民主主義に代わるより優れた制度は今のところ見つかっていませんから。
 
 
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2012年08月03日

2014年消費税増税の影響をどう見るか?

 2014年の4月、今から1年8か月後に消費税が8%になるかもしれません。もう聞き飽きた発言ですが、このデフレ時に増税などしようものなら急速に景気が冷えあがってしまう、と言われています。
 私たち建築業界に身を置く者同士、たまに意見交換するのですが、業界の動きとしてはそのこと(増税)を織り込んだ見通しをすでに立ててます。ちなみに車屋さんも同じことを言ってました。以下に、その「見通し」を書いてみます。
 まず、「駆け込み需要」。
 家も車も高価なものですから、当然、2014年4月前には駆け込み需要が予想されます。業界としては、この時期、強気の価格を提示します。つまりあまり値引きしません。そして、2014年4月以降、急速に売れなくなった時に、大幅な値引き商品を用意し、駆け込みに間に合わなかったお客様の取り込みに向かいます。その値引き分は増税分3%を吸収してさらにお釣りがくるくらいかもしれません。要するに、増税前にあせって契約した人よりも、増税後の方が安くモノ(家や車)が買えることになるだろう、と言うことです。
 食糧、日用品の買いだめといってもたかが知れてますから、そちらの方に大きな増税の影響は現れないでしょう。一方、高額な商品については、それぞれの業界はそろって前述のような動きをするはずですから、あせって増税前に土地、建物、車、装飾品といった高価なモノを買う必要もありません。むしろ、不動産などは増税後の景気が冷え込んだ後こそが本当の買い時でしょう。すでにそれを狙ってる輩も多いはずです。
 私はもちろん増税には反対です。言い古された指摘ですが、増税する前にやることがたくさんあります。
 でも、そんなことこのブログにいくら書いてもどうなるものでもありません。
 何となく思うのは、今の日本ってドラスティックなことがおこらない国のような気がします。ただただ、坦々と日々が流れていきます。ほどほどの駆け込み需要があっても、皆すぐ業界の思惑に気が付いて、極端な需要増はおこらないのではないでしょうか?そして、増税後もこれまた坦々と消費活動が行われていく。消費税分値引きしてもらったよ、とか言いながら・・・。
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2012年01月14日

ユーロ債格下げを嘆く

 今朝のニュース、スタンダード&プアーズがユーロ債を格下げしたとのこと。
 世界は、今後マネーゲームの規制を行わないと本当にヤバイことになる、とあらためて感じました。
 投資ではなく投機、実体ではなく虚構が世界中を横行してます。
 元々、経済の必要性、安定性のため、実体経済を支えるために開発されたはずの高度な金融手法が、まったくその意図から離れ、単なる投機的金儲けの道具にされてます。嘆かわしいことです。
 以前にも書きましたが、実体経済だけを見れば、ユーロ危機はそれほど拡大しないはずです。
 問題は、20〜30年前が実体マネーが90%に対して虚構マネー10%だった世界経済が、ここ数年で逆転、実体マネー10%に対し、90%まで膨れ上がった莫大な虚構マネーがやれデリバティヴだやれレバレッジだ、と恥知らずな大暴れをしている点です。
 真に知的な識者集団は、市場に冷静に対応するよう言い聞かせているのですが、この暴力の前では為す術もない状況です。
 そんなにお金を儲けてどうしようというのでしょう。何も生産しない空しいゼロ・サム・ゲームの勝者になって何がうれしいのでしょう?その結果、世界が大混乱に陥り、多くの人が不幸になっても、何の良心の呵責もないのでしょうか?
 健全な世界を築くためには、これ以上金融工学の悪用を許してはいけません。規制をかける方法は必ずあるはずです。
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2011年12月09日

日本の本当の税率は幾らか?

 日が短いです。昼ごはんを食べ終わるともう夕暮れという感じです。現場回りに出ると、明るいうちに帰ってこれません。冬至が待ち遠しいです。
 さて、今日は久しぶりに税金について書きます。
 以前から疑問に思っているのですが、日本の税率って、他の先進国と比較し、高いんでしょうか、低いんでしょうか?
 会社経営者は皆感じているのですが、社会保険料(健康保険+厚生年金)だけで、会社負担分まで入れると、実質、人件費(会社が負担している実質のお給料)の約25%になります。その他に、所得税、住民税が取られます。さらに、金額的には多くありませんが、雇用保険料だって実質税金みたいなものです。
 年収や扶養者の有無によっても違いますが、おおよそ会社が人件費として見ている金額の30から35%は源泉徴収される、と考えて良いでしょう。サラリーマンにとってはこれが実質の税金です。
 加えて、消費税があります。現在5%です。収入の1割を貯金、9割を消費活動に回している人であれば、手取り金額の4.5%が税金で取られます。もし10%になれば、税率は手取りの9%です。
 その他、車、ガソリン、タバコやお酒といった嗜好品にかけられている税金を考えれば、実質的な税負担率はおおざっぱに言って平均40から45%程度ではないでしょうか?消費税が10%になれば、これが約45から50%になります。
 どうでしょう?思ったより税率って高いんだな、と思う人が多いのではないでしょうか。特に納税のほとんどを源泉徴収されているサラリーマンの方々。
 この「いっぱい税金取られている!」という感覚、認識がとても大切だと思います。これを機に、人は本当の意味で(観念的ではなく、という意味)政治に参加します。そして大人になります。今、永田町にいる人たちはモラトリアム状態(自分で稼いだお金で税金を払った経験がない)から政治家になった人が多く、したがって、どこか観念的であり、現実の問題を解決する能力に乏しい、と言わざるを得ません。
 いっそ、源泉徴収をやめてしまって、皆で確定申告に行きましょう。そもそも、なぜ、納税の為の作業する人件費を民間企業が負担しなければならないのか、納得がいきません。国民が等しく、どれだけ自分が税金を払っているかキッチリ自覚しましょう。実は、源泉徴収という制度は、国民の税負担に関する意識を希薄化させ、それによって政治的無関心を作り出すシステムに他なりません。

 さて、では45から50%という税率について、どうとらえるべきでしょうか?
 日本国民として、国から人権、生命、財産を守ってもらい、ライフラインの供給を受け、老後(60歳以降)の生活を保障してもらえるのであれば、けっして高い税率とは言えないでしょう。たとえ、消費税が10%になって税の負担率が実質50%になろうとも。
 最大の問題は、医療体制と老後の保障、すなわち社会保障制度の信頼性にあります。
 その意味で、「社会保障と税の一体改革」には注目しています。
 社会保障の財源には、すでに税金の一部が投入されてますが、今後、さらにその形を推し進めてゆくべきでしょう。また、厚生年金と公務員の共済年金の財源の垣根も、ぜひ取り払うべきです。公務員のみなさん、いろいろ言いたいことはあるでしょうが、自分たちだけ、安泰な老後を送っていても、周囲の老人たちが皆、不安で貧しい暮らしをしている中で、本当に心穏やかでいられますか?しかも、そのような国を作ったのは誰でもない、あなたたちなのですよ。正しく想像力を働かせ、よ〜く考えてみましょう。

 政治家は、政局ではなくちゃんと政治をやりましょう。自民党、情けないです。谷垣氏も石原氏も、自分らが国民からどのように見えているのか、まったく自己を客観視出来てません。対照的に、野田総理は言葉に魂がこもってきました。但し、財政再建とTPP参加表明という2大政策の行方を危惧します。
 今日はここまで。これから久しぶりにJCの現役メンバーと会います。
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2011年09月17日

人類は煩悩を克服できないのか?

 今日は遠野祭り。でも現場は出勤です。但し、午後からは雨の予報なので勝負は午前中です。後は無理せず帰ってくるよう指示しました。遠野祭りに休日を返上したのは、おそらく初めてです。
 さすがに電話はありません。
 加守田さんのアトリエの改築・整備をやっており、たった今、煙突部の養生をして帰ってきました。板金巻き工事を残していたのですが、雨が降りそうなので念の為、です。
 
 さて、ヒロコさんからのコメントを受けて、「ごく一部の大金持ちが自分らの都合の良い様に世の中を操作している」と書きました。このような主張を俗に「陰謀論」といい、良識派の皆様からバカにされています。
 確かに、全ての事象を陰謀論で片付けるあまりに偏った方々もおり、バカにされてもショウガナイと思います。
 一方、世界の富裕層上位5%が、世界の富の71%を手中にしている、という調査もあり、この5%の人間は、当然、計り知れない権力を持っているわけで、彼らはその権力を使って世の中を出来るだけ自分の都合の良い方向へ導こうと画策するだろうことも容易に想像できます。
 単純にいかないのは、その富裕層同士の中でも利害の対立があり、必ずしも各人が意図した方向に事が進むわけではないという点です。

 時々思うのですが、世の中って高度な政治的判断で物事が進んでいるように見えて、実は、もっと原始的なんではないでしょうか?
 「ジェノサイド」という小説を最近読んだのですが、明らかにブッシュ・ジュニアをモデルとした米国大統領が登場し、彼の政治判断を左右しているものはパパ・ブッシュという強権的な父親に対する幼年期の恐怖心・劣等感である、としています。
 2001年以降の世界的混乱が、実は1家庭の親子関係に起因している、という考えです。これは恐ろしい話です。

 人間というのは知性・理性・道徳心を持つ一方、エゴ、欲望(食欲・性欲)の虜でもあります。特に、権力者、リーダー、起業家といった人種は、欲望が人一倍強い連中ばかりです。
 はっきり言って世の中でがんばっている男の大部分は食欲と性欲の2大モチベーションで生きている、と言って過言ではありません。
 したがってこんな動機で生きてる連中が世の権力を握るのですから、良い世の中なんかできるわけがありません。だって食欲と性欲(しつこい!)で成り立っている世の中ですよ!これが人類の限界です。以前、議会制民主主義の限界について書きましたが、その上には、このような、絶対的な限界があります。

 小説「ジェノサイド」では、現存人類の限界点を見極め、進化をとげた次世代の種を登場させています。その新しい「種」は、煩悩(欲望)から完全に開放され、高い知性と理性(合理性)に従って行動を選択します。彼らのモチベーションは、種の存続にあります。その行動は、そのためにもっとも合理的な形から選択されます。
 今の世界情勢を見ていると、ほんとうにそのような新種が出現しても良い時期かな、と考えさせられます。いや、意外とその新種は、今、あなたのそばに居るのかもしれません。アセンションってそういうことだったりして・・・。
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2011年08月29日

馬淵澄夫議員の敗北を嘆く

 朝、会社の朝礼で、従業員20名の前で、民主党代表選の話をしました。「みんなだったら誰を選ぶ?」と問いかけ、挙手してもらいました。
 結果は、馬淵氏1名(私のカミさん)、野田氏1名、他はほとんど全員前原氏でした。
 「なぜ前原さんなの?」という問いに関しては、「何となく」「有名だから」「前原さん以外知らない」という回答でした。
 結果は野田氏が選ばれましたね。増税路線の方です。期待度が低いという意味では小渕総理誕生時を連想させます。小渕さんのように、よい意味で初期の印象を裏切る政治をしてくれれば良いのですが。
 野田氏は未知な部分が多すぎます。ただ、早稲田から松下政経塾、そして政界という経歴では、その手腕は期待できません。キチンとした社会人経験がないからです。真に他者に対し責任を負うという経験をしていないからです。官僚のマネジメントが出来ない人間に、政治家になる資格はありません。だから、モラトリアムから政治家になってはいけないのです。菅氏も前原氏もモラトリアムから政治家になった人間です。そして、今、政治家を志している人々を見ても、モラトリアム人間が多すぎます。そうゆう方々を私は「でもしか政治家」と呼んでおります。もちろん、本人の前では言いませんが。
 馬淵氏が予想通り、敗北しました。24票という惨敗でした。奇跡はおこりませんでした。民主党はやっぱりダメな政党です。もっとも日本に良い政党なんてありません。良い政治家はいます。私の知る限りではただ1人。馬淵澄夫です。そして彼に投票した23人の議員にも期待が持てるでしょう。私は、その23名の議員の名をしっかりと心に刻み付けます。
 小泉政権後、5人の総理が選ばれては、消えました。就任当初は、それぞれある程度、期待はされましたが、最後は皆、なさけなく惨めでした(いや、麻生さんだけはそうでもないか)。
 馬淵澄夫という人間を見続けて言えるのは、彼はどんなことがあっても、なさけなく、惨めには絶対にならない、ということです。顔に「覚悟」が書いてあります。そして真のやさしさがあります。本当にやさしい男は、馬淵氏のような顔をしています。前原氏のような顔ではありません。
 同年代ということもあるのでしょうか、過去に出会った尊敬できる友人・知人数人の面影が、馬淵澄夫という男に集約され、一種の友情のような思いを彼に感じております。念のため断っておきますが私はホモではありません。ちなみに民主党員でもありません。
 私は、日本の将来を憂えます。次回の選挙では民主党は敗北するでしょう。馬淵氏も歳をとります。51歳という年齢で日本のリーダーなるチャンスを馬淵氏から奪ったことで、我々日本国民は手痛いしっぺがえしをくらうでしょう。
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2011年08月18日

耐震偽装事件と馬淵澄夫議員

 企業を代表する者がブログで政治に立ち入ったことを書くことについては是非があると思います。が、今の情勢下において、政治について何も書かない、言わない、という態度は不自然過ぎると思い、あえて書きます。
 多くの国民が、国会議員に対し失望しています。私も同感です。はたして今の議員センセイの中で信頼に足る人がいるのでしょうか?
 そんな中で、実は、1人だけ、以前から気になっている議員がおります。民主党のターミネーターこと馬淵澄夫氏です。
 馬淵氏の存在にはじめて注目したのが、建築業界を揺るがした大事件「耐震偽装事件」の時です。
 この時、徹底的にこの問題の核心を追及した唯一の議員が馬淵氏でした。イーホームズの藤田社長に対する国会質問を行った馬淵氏を見て、その真摯な姿勢に国会議員にもマトモな人間がいたんだ、と思ったことを憶えております。
 藤田社長の手記にも馬淵氏は登場しております。ウワサによるとこの件でなにやら危険な目にも遭ったようです。
 馬淵氏は、横浜国大卒業後、建築業界に身を置いてます。キチンとした社会人経験を積んだ方と思われます。キチンとした社会人経験とは、組織における人の動かし方を知り、お金をいただくことによって生じる責任の重さを自覚している方を言います。だって、モラトリアムからそのまま政治家になる人が多過ぎませんか?菅総理を筆頭に。
 私は特に支持政党はありません。政党政治自体訳分からんと思ってます。郵政民営化が論戦になった時は、民主党に入れましたし、麻生さんが負けた時は、自民に投票しました。いつも私は少数派でした。結果、今の日本があります。
 今回、民主の代表選で、馬淵氏が立候補しました。彼が選ばれるようでないと、日本は変われません。
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2010年07月02日

高福祉社会は一日にして成らず

 最近の選挙演説を聞いて気になることがあるので書きます。
 介護、福祉、子育て支援、失業者支援など、人に優しい社会を作ろう、という主旨の演説がたいへん多いと感じています。
 もちろん国家としてはそうあるべきだと思いますが、その制度をいきなり導入すると国家は滅びます。
 以前、私は北欧礼賛者ではない、スカンジナビア・モデルをそのまま日本に持って来ても上手く機能しない、と書きました。これをもっと正確に言うと、スカンジナビア・モデルは、国民の意識変換を長い時間をかけて行った上で導入しないと失敗する。政権が変わった、よし次年度から実施、という訳にはいかない制度である、と言うことです。
 国民の意識を変える為には、教育が大切です。まず、働くことの意義を学ぶことです。若者の口から「自分探し」などという言葉が出ない社会を築きましょう。自分のやりたいことが分からない、ではなく、周りが貴方に求めていることをやる、これが幸福への近道です。別名それを「運命」と呼びます。自然体の生き方、とも言えるでしょう。
 そういった意識に立てば、誰も貴方に望んでいないことを、ただ自分の欲望や功名心から、がむしゃらにやろうとしたり、自分の利益の最大化を図ろうとすることも少なくなるでしょう。私がよく「やり手の経営者の方」と皮肉を込めて書くのは、その「やり手」の皆さんにこのことを分かってもらいたいからです。
 国民の意識が今のままで高福祉社会の制度だけを持ち込んだら、今の日本、働かないで国にたかろうとする人々が激増し、大幅に国力が低下します。企業を例にとっても、ただ従業員の要望をすべて聞いていたらその会社は潰れます。すべての前提は双方の信頼関係にあります。そのためには本当に長い、長〜い時間がかかります。高福祉社会の実現とはそういうものです。北欧諸国だって一朝一夕で出来たものではないはずです。その歴史の重みをきちんと踏まえて発言しないと北欧諸国に対して失礼です。
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2010年06月30日

小野教授は変化球を投げるのか?

 菅政権のブレーン・大阪大学小野教授について前回批判しました。景気回復・財政再建を同時に行う。その為には消費税等増税を視野に入れる。その主たる投資先は介護・福祉である、と言っている方です。
 経済の素人でもおかしいと思うこんな理屈を、ニコニコ元気にTVで話している姿が頭から離れず、最近「待てよ」と思い始めました。ひょっとしてこの先生、とんでもない変化球を投げようとしているのかもしれない。まさにライヤーゲーム?
 まず、この選挙のタイミングで消費税増税を話題にします。もちろん、すぐに増税するわけではありません。近い将来実施するための制度設計を議論しようと言っているわけです。今後もことあるごとに消費税10%について話題にし、我々国民の心理に中に、2012〜2013年には確実に消費税10%になる、という意識を植え付けます。さて、そうなれば消費者はどういった行動を選択するでしょう?

 まず企業は設備投資を前倒しで行うでしょう。設備投資しようかどうか迷っていた企業も、タイミングを逃すと5%余分に経費がかかる、どうしよう、まわりの企業も最近設備投資が盛んだし、よしウチも決断しよう、となります。個人消費も住宅を中心に需要の前倒しが起こるでしょう。80万戸まで落ち込んだ住宅着工棟数が瞬く間に100万戸台に回復するかもしれません。その他の個人消費も金額が大きいものから増税前の駆け込み需要がおこってくるでしょう。こうしてダイナミックなお金の循環が作り出されます。GDPは拡大し、景気は大きく上向くでしょう。
 但し、この場面では皆、これは増税前の駆け込み需要に過ぎない、あくまで一時的なものだ、逆に増税後に一気に景気が冷え込む危険性がある、など不安感を拭えないでいます。
 しかし、その一方、確実にお金が循環しており、市場が活況を呈していることは歴然とした事実です。もし、まだお金の循環が不十分だと判断したら、増税のタイミングをさらに1年延ばし、好景気を持続させます。出来れば、国民が自信を持ち、消費税増税があったとしても乗り越えられるくらいの意識が持てるようになるまで延期、延期を繰り返してもよいでしょう。
 このようにある意味国民心理を操りながら、消費活動を活発化させ、本当に不況を脱出できた時、おもむろに消費税増税を実施します。
 財政再建、増税、構造改革といった地固め的な政策は、不況時に行うべきではありません。好況時こそ、きちんと地に足をつけた組織運営を行わなければいけない、と思います。それが国であっても企業であっても。
 まず、不況脱出。そのために企業の内部留保、個人の預貯金をいかに流動化させるか。降って沸いたこの度の消費税議論。ホントの狙いは意外にもこんなところにあるのかも。だとしたら小野先生。なかなかしたたかなプレイヤーですね。
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2010年06月26日

日本を捨てる若手企業家たち

 本日2度目の投稿です。
 朝のNHKニュースで、日本の若手企業家たちが、日本を捨て、海外で活動しようとしている動きについて報じてました。
 別に、若いのですから海外で起業しようとするその姿勢自体を批判する気はありません。むしろその勇気を称えたい思います。私が問題に感じたのは、彼らの海外に行こうとする理由・動機です。
 報道によると、彼らは日本に明るい未来はない、と決め付けているようです。人口は減り、市場は狭くなり、国家としてビジネスを育てていこうという戦略もなく、したがってそのための土壌を整備する気もない発展性のない国, というのが母国に対する彼らの共通認識です。
 確かにそう言われても仕方のない部分はありますが、それを補って余りある資源が我が国にはあると私は思います。今の日本は、経済発展の青年期を終え、成熟期に入ったところです。この過程はどんな国家でも次の次元を目指すためには必ず通過しなければなりません。成熟期=大人の世界ですから、大人としてのルールを守り、品格を伴わなくてはいけません。当然、規制の中でビジネス展開しなければなりませんからやりづらいです。既得権との戦いもあります。まあ、ビジネスをする上ではあまり楽しい環境ではないかもしれません。
 それにしても日本のマスメディアのレベルの低さには呆れてしまいます。すべて表層的で、受けだけを狙ったスキャンダラスな表現のたれ流しです。スパイダーマンではありませんが、大いなる力には大いなる責任が伴います。マスメディアに従事する皆さんにはこの言葉を肝に銘じてもらいたいです。特に、ニュースショーのキャスターの皆さんには言いたい。少しは自力で情報を収集しなさい。本を読みなさい。自分の頭で考えなさい。そしてその上で発言しなさい。
 さて、話戻って日本を後にする若手企業家の皆さん。「日本を見限った」という動機で海外に行くのであれば、あなたは失敗します。国内のマスコミに踊らされるその程度の分析力・認識力では、海外では通用しません。
 国を捨てる、ということ、故郷を捨てる、ということがどれだけの覚悟がいることなのか、もう一度よく考えてみるべきです。極端な例をあげれば国家を失った民族の苦しみ、悲しみに思いをはせてみてください。日本人として認められていること、その国に守られているということが、いかにかけがえのないことなのか、いつか分かる日が来るでしょう。究極の合法的脱税方法としてPT(パーマネント・トラベラー=永遠の旅行者)という生き方がありますが、これほど孤独で人間味のない虚しい人生はない、と私は思います。(大橋巨泉さん、ホントは後悔してるんじゃないかな、今の生き方・・・)

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2010年06月23日

大きな政府と小さな政府

 レーガン・サッチャーが率いた新自由主義。ベルリンの壁をぶち壊し、ペレストロイカを呼び、クリントン政権時代に頂点を極めたイデオロギーも、今やすっかり色褪せてしまいました。ここに到って、いまだに「小さな政府」を唱えている一部の政党・政治家には呆れてしまいます。
 世界は方向性を失い、何ともいえない閉塞感に包まれていますが、その中にあっても、順調に機能している国家があります。デンマーク、スウェーデンなどの北欧諸国、アジアにおいてはシンガポール。また、様々な問題を抱えてはいるものの元気の良さではやはり中国でしょう。
 これらの国家に共通するものは、「政府の統制力の強さ」といって良いのではないでしょうか?
 はじめにお断りしますが、私は北欧礼賛者ではありませんし、そのシステムをそのまま日本に持ち込んでもうまく行くわけがない、と思っています(国家の規模が違い過ぎます)。ちなみにデンマークをみると国家が強く国民に干渉し、義務を果たすことを要求しますが、かわりにきちんと守ってくれます。国は家、国民は家族という発想です。もちろん国民はすべて番号で国に登録されています。
 バーチャル国家・シンガポール。国というよりひとつの企業に近いイメージがあります。政府が国家としての経済・産業のプランニングを緻密に行う、実に戦略的な国家です。
 中国に関しては言うまでもないでしょう。
 これらの国々は、政府が強い主導権を持って、あくまで国民の先頭に立って国を運営しています。
 新自由主義は崩壊しました。30年に及ぶ壮大な実験はもう結果が出たのです。ここで痛い思いをして学んだものは人類の財産です。その一方、北欧が行ってきたケインズ主義の国家運営もまた、ひとつの実験であり、その結果も出た、と言って良いのではないでしょうか。加えて、シンガポールの成功例、中国の躍進から学ぶことは、国家戦略の重要性です。いかかでしょう、こうして並べてみると、あるべき国家の姿がなんとなく見えてきませんか?
 その意味で、今の日本。だいぶ遅れを取ってます。
 様々の悲惨な失敗は、逆に多くの未来への解答も用意してくれました。取り組むべきことは明白です。政治家の皆さん、狭い視野からはやく脱却して、ブルーオーシャンを思いっきり泳ぎ回りましょう。
 
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2010年06月14日

新政権で日本は変わるか?

 菅政権が誕生しました。
 景気回復と財政再建を同時に行う。その為には増税も視野に入れる、と言ってます。
 疑問1 増税して景気回復が可能か?
 その心は、「不況とは誰もお金を使わない状況」(ここまでは正しい)「民間がお金を使わないから、その分、政府が税金として民間から資金を吸い上げ、代わりに使ってやることによって景気は回復する。」という理屈のようです。その使い道は「介護等」とのこと。すでに経済の専門家から批判が出ており、ここであらためて書くまではありませんが、この政策で景気が回復するとは到底思えません。まず、政府はお金を使うのは良いのですが、財源を、今、このタイミングで税金に求めてはいけません。財源はあくまで国債を発行することで確保すべきです。また、「介護」を成長産業」と位置づけている点が致命的な誤りです。「介護」という領域は基本的にビジネスとは馴染みません。また、波及効果が薄い=経済の乗数効果が期待できないという指摘もあります。「介護」こそ民間ではなく、国家が義務として行う分野です。
疑問2  何をもって財政再建というのか?
 そもそも今の日本に、早急な財政再建の必要性はありません。国家予算の半分以下の税収しかないことを称して財政難というのであれば、対策は景気回復による税収UPしか有り得ません。増税など、匂わせることさえ言ってはいけません。景気の大部分は気分の問題なのですから。


 会田雄次「アーロン収容所」に書いてあったことを思い出します。戦時中の体験記なのですが、印象に残っっているのが「戦争の局面局面において、光り輝く人(リーダー)のタイプが変わってくる」という記述です。
 イケイケで進軍する時に輝く人、敗退時に指導力を発揮するリーダー、捕虜になった時に、皆の信望を集め、実質的なリーダーとして認められる人。それぞれが別な能力であり、その局面ごとに実質的なリーダーが生まれてくる、という実体験が書かれています。
 さて、菅直人という政治家なのですが、この不況打開という局面において、はたして適正なリーダーといえるでしょうか?今までの発言を聞いた限りでは、明らかに不適です。残念ながら非常時に求められる判断、すなわち一番の問題(不況)に的を絞り、その1点を全力で突破する強力なリーダーシップが見えてきません。
 亀井大臣が辞任しました。残念です。国債増発・積極財政を言い続けてきた政治家でした。亀井大臣が郵政民営化に反対していたのは、一部の利権を守るなどどいう矮小なことではなく、外資から国家を守るためだった、と私は信じています・・・信じたい。
 このままでは日本は浮かばれません。致命的な問題を抱えていない、唯一といっていい恵まれた国であるはずの日本。ゆっくりと古い小説にひたる幸せな時間は、まだ当分お預けのようです。
  

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2010年06月05日

今こそ公共投資が必要な理由

 前回の話の続きです。参考文献は三橋貴明著「ジパング再来」

 確かに日本の公的債務(借金)は1994年を基準とすると2.5倍くらい増えてます。では他の主要先進国はどうかと言えば、フランス約2.2倍、ドイツとアメリカが約1.8倍、イタリアが約1.4倍、イギリスはほぼ日本と同じ2.5倍となっています。つまり北欧など一部の国を除いて、主要先進国の借金は年々増加しています。

 次に、その借金の対GDP比を見ていきます。日本の借金は1000兆円、GDPが約500兆円ですから、対GDP比の200%。日本はたいへんだ、と言われてしまうわけです。ちなみに1994年当時は80%くらいでした。

 では日本とおなじペースで借金を増やしてきたイギリスはどうかと言えば、対GDP比約40%。1994年当時とほとんど変わっていません。他の国はどうかと言えば、ほぼ横ばいか、わずかに減少傾向にあります。

 この数字が意味することは明白です。他国は借金も増えましたが、それ以上にGDPが拡大している。日本は借金だけが増え、GDPが伸びなかった。

 その理由は何か。

 バブル崩壊後、もっとも落ち込んだのは民間企業の設備投資でした。それに加え、1990年代後半から公共投資まで絞り込んだものだから、民間の設備投資の減少分を補うものがなくなってしまった。

 ちなみに、1992年と1993年は民間設備投資額が前年と比べ激減しましたが、GDPは3.1%、0.9%とプラス成長してます。公共投資が、企業の設備投資の減少分を補ったからです。民間の財布の紐がかたくなった時、それを補うのは国の財政しかありません。不況時の構造改革、緊縮財政は、明らかに政策上誤りです。

 以上をまとめて言えば、借金自体はどの国も増えている。それにあわせGDPも成長するから、国の経済規模からみた借金の額は相対的に変わっていない、か、もしくは減っている。日本だけがGDPの成長が鈍ったため、相対的な借金額が増えてしまった、ということになります。

 今の日本は、借金を減らすことではなく、経済成長させることが重要です。というか、それがそもそもの国家としてのあり方です。税金を使って公的債務の返済に充てている国はないそうです。よく国家財政を家計に喩えて論をはる方がおりますが、個人の家庭と、紙幣の発行権がある国家を一緒にすること自体、その前提に誤りがあります。

 このように、今の日本ほど「問題」が明確で、「そのためにすべきこと」も明白な、すっきりした国はありません。対処法の明確な問題は90%解決済みと言っていいでしょう。

 世界でも最大規模の資産(ストック)を有している日本。ダイナミックな政策で、そこにフローさえ作り出せればあっと言う間に景気は回復します。仮に、国民の金融資産1400兆円、負債を引いても1000兆円以上あるのですから、その5%(50兆円)が株式市場に流れ込んだら、それだけで日経平均は2万円台を回復するのではないでしょうか?間接金融から直接金融への転換です。それは、国民が、今よりも国の経済活動へ能動的に参加することであり、社会への関心を高めることであると思います。

 

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2010年05月29日

議会制民主主義の限界

 連日の政治報道を見て、多くの国民が情けない思いをしていると思います。政治家って基本的に優秀な方々なのでしょうが、集団になるとなぜああまで愚かになってしまうのでしょうか?
 例えば自民党。先の選挙での大敗は見方を変えればチャンスでした。長年、与党として政権を担ってきた実績を生かし、正しい野党の姿を国民に見せ付けることで大きな支持を得られる可能性があったのです。
 正しい野党―政争ではなく、いかに国を良くしていくかを第一義に置き、与党に対し、応援すべきことは応援し、反対すべきことは反対する。一生懸命取り組んでも実現出来ないことは当然あります。それを公約違反と一方的に攻めるのではなく、事情を考慮し受け止めるくらいの懐の深さを見せ、無用な混乱を引き起こして政権党の足を引っ張るのではなく、むしろ落ち着いて国家運営に取り組めるような環境作りに貢献する。そんな姿勢を見せれば一気に自民党は再生したと思います。こんな時期に離党、分裂がおきるなどもってのほかです。党内に残って内部から改革に取り組むのが正しい姿です。
 政治というのはやっかいなものだと思います。そんなめんどくさいこと、誰もやりたくないはずです。にも関わらず、周囲には政治家になりたがっている人がたくさんいます。偏見!と批判されることを承知で言いますが、政治家になりたがっている人って、日々中途半端に生きている人が多いような気がします。中途半端なんだけど野心だけはギラギラしてるというか。そもそも40〜50年の間社会人として生きていれば、当然周囲に対して果たすべき役割、責任が生じているはずです。ある日それを断ち切って政治家になるわけですが、断ち切られる方はたまったものではありません。例えば当社のK部長やG次長がある日政治家になるから会社をやめる、と言ってきたら私は必死で引き止めるでしょう。逆に断ち切れる人は、断ち切れる程度の役割しかはたしてこなかったとも言えます。中途半端といったのはこういう意味です。
 そういう人たちを私は心の中で「でもしか政治家志望」と呼んでいます。政治家にでもなるか、政治家にしかなれないしな、という動機で政治を志すからです。
 あなたも、自分の周囲で本当に必要としている人(そばにいてほしい人)が、離れて行くとしたら当然必死で止めるでしょう?またそれを振り切れる人をあなたは人間として信頼できますか?
 極論を承知で言います。議会制民主主義の限界がここにあります。本当に社会から必要とされている人、優秀な人は、議会制民主主義という制度では政治家になれないのです。政治家になるのは、今、所属している社会からいなくなっても誰も困らない人材、もしくは社会人としてキチンと生きた経験もないまま、政治家の道を走り出す世襲議員などでしょう。これでは世の中良くなるわけがありません。
 この状況を打破する道はふたつ。カリスマ性を持った真の賢人が現れるか、政治家を選ぶ我々選挙民がレベルアップするか、です。ひとつ目は運まかせ。いつくるか分かりません。ふたつ目は一朝一夕にはいきません。まず教育です。小学生のうちから政治に目を向ける教育を行い、選挙権は持たせないまでも、例えば市議会議員の選挙演説を小学校で行わせる、デンマークのように。
 何れにせよ時間がかかるでしょう。我々経営者にできることは、それまでの間、これ以上ひどくならないように社会の底辺を支えていくことだと思ってます。
posted by walker at 09:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 政治・経済