2012年09月24日

忘れがたい童話

 紫波町のオガール地区が気になってます。実は昨日も行ってきました。 そういえば、やはり以前目撃したのはぐっちーさん本人に間違いなかったみたいです。ぐっちーさんはオガール・プロジェクトに深く関わっていたんですね。
 ちなみに今回はオガールプラザ内の図書館を見てきました。その感想はひとまず置いといて、今日は童話について書いてみたいと思います。
 私は、初めての図書館に行くと、まず児童図書のコーナーを見ます。
 読書の記憶と言えば、私にとって小学校の頃に読んだ数々の童話ほど、心躍るものはありません。思いつくままに挙げてみると「空飛ぶ家」「松の木の王子」「小さな魔女」「おかあさんは魔女」「魔法のぼうし」「もぐら原っぱの仲間たち」「青空にばんざい」・・・。その多くは絶版になっているのでしょう。児童図書のコーナーでいつも探して見るのですが、今だ見つけられません。
 それらの中で、もう一度読んでみたい、と思う忘れられない作品が3冊あります。
 「小さな町のなかで」「文彦のふしぎな旅」「絵にかくと変な家」の3冊です。
 「小さな町の中で」は確か小学校5年生の冬に読んだと思います。カメラが趣味の少女が主人公で、その娘と脱走兵(おそらくベトナムからの脱走兵で黒人だったような)とのふれあいがテーマだったような気がします。普通の少女の日常に黒人の脱走兵が現れる、という不思議なムードを持った作品でした。
 「文彦のふしぎな旅」は満州が舞台だったと思います。ラストがあまりに衝撃的で、読後しばし呆然としたのを憶えてます。
 「絵にかくと変な家」は、ちょっと大人になってから、中学3年の時に読みました。学生運動が絡んでくる思想色の強い作品だったような気がしますが、それとは別に(いや、それだからこそ、と言うべきでしょうか)忘れがたい独特の印象がありました。
 3作品すべてに共通するのは、どれも一筋縄ではいかない、クセのある作品である、と言うことでしょう。生理的な部分を直撃してくるようなザラりとした感触が何とも言えません。ネットで検索してみたのですが、ヒットしたのは「文彦・・・」だけでした。あとの2作は絶版になってしまったのでしょうか?ひょっとしたら、今の子供たちに読ませるのに好ましくない内容、と判断されてしまったのかな?
 何れにせよ、あの頃のような読書体験は二度と経験できないでしょう。
 図書館の匂い、手に取った本の記憶とその時々の季節が織りなす情景は、ほんとうに忘れがたい大切な思い出です。
 そう言えば、本に絡んで一人の実在の少女のことを思い出しました。次回、彼女について書いてみたいと思います。もう、40年も前のことだから、書いても多分、差しさわりないでしょう。
 

2011年07月16日

花輪莞爾「悪夢小劇場」

 エンジニアのY君が、放射線測定器なんて簡単な機械がなんで100万もするんだ、と嘆いてます。材料と設備さえあれば彼に頼めば作ってしまいそうです。メールによるとメカニックの部分は専門的過ぎてよく分からなかったのですが、原価はほんの数万円なんですね。まあ、ありそうな話です。
 今日は、県北の奥中山まで1班が工事に行っているので、その帰りを待っている間に書いてます。夏の話題として「恐怖小説について」などいかがでしょう?
 どうも私は恐怖に対する感受性が鈍いようで、以前、スティーブン・キングの「シャイニング」を読んでも、何の恐怖も感じず、映画をみてもぜんぜん恐くなく、友人に「何処が恐いの?本当にわからないんだ、教えて」と言って「恐怖を説明しろ、と言われても・・・」と困惑された過去があります。
 そんな鈍い私にも、心底ゾッとさせられた小説があります。花輪莞爾氏の「悪夢小劇場」と「悪夢小劇場2」です。残念ながら絶版になっているかもしれません。
 何が恐いって、文章が恐いです。言い回しが恐いです。そこで選ばれている言葉が恐い。かつ、小説としてもこれだけ上質なものはそうありません。まさに天才の仕事です。花輪氏に関しては、もっと作品を読みたいのですが、ほんとに寡作な作家で、作品自体数がありません。
 その中で、津波について書かれた作品が収録されています。「海が呑む」という題だったと思います。津波を見たことも、もちろん遭遇したこともない自分(花輪氏)が、なぜ、こんなにも津波を実感し、恐怖するのか、その解明のために筆を走らせた、といった趣の作品だったと思います。小田急線のどこかの駅前の書店で偶然手にし、読み始めたら、ぐいぐい小説世界に引き込まれたのを憶えてます。小説を読む醍醐味がここにあります。
 もうひとつ、高橋克彦さんの、確か「黄昏奇譚」だったかな?恐かった。
 当時、カミさんは盛岡で仕事をしており、アパートを借りて逆単身赴任状態。たまたま私も盛岡で仕事が終わり、今日は盛岡泊まりにしよう、カミさんが帰って来るまで暇つぶしにと思って買った文庫でした。アパートで1人読んでいたら、ゾクゾクと恐くなってきた。カミさんが帰って来た時の救われた気持ち、忘れられません。不思議なことにその直後、その文庫本は消えてしまいました。幾ら探してもどこからも出てきませんでした。また買おうと思っても何故か書店で見つかりません。よってまだ読了しておりません。買うこと自体不吉な予感がするので多分、もう一生読まないと思います。それほど恐かったです。
 あっ帰ってきた。では、今夜はこれにて。

2010年06月07日

「村上春樹」が好きだった頃

 村上春樹さんの新刊が話題です。気にはなるのですが読んでいません。前作も前々作も読んでおりません。メディアで見かける度に複雑な心境でおります。
 大学時代は村上春樹さんが大好きでした。「風の歌を聴け」の文庫本を最初に手にしたのは1982年の秋でした。大学の帰りに、アパートの近所のコンビニで何となく購入しました。
 第一印象は、ずいぶん気取った文体だな、ちょっと鼻につくなあ、でした。特に引き込まれることもなく、合間合間に読み進め、最後は、読み終わった、やれやれ、という感じで本棚にしまいました。
 そして一年が過ぎました。大学の実験で(理系だったもので)、30分おきにデータを取らなければならないが、あとは何もすることがない、という退屈な状況になり、暇つぶしに軽い読み物をと思い、生協の書籍部に行きました。実験を抜けて来たので、選んでいる時間は20分もありません。目に入ったのが文庫本の「1973年のピンボール」でした。ああ、あの作家か、と思い、時間がないからまあこれでいいや、と手にとって研究室に戻りました。
 今度は引き込まれました。アパートに帰り、洗濯物がたまっていたのでコインランドリーへ行きましたが、そこでも読み続けました。あらすじを追うタイプの小説ではありません。途中、何度も小説から目を上げ、独特の余韻を味わいました。読み終えたのは、日曜の夕刻。アパートの近所の喫茶店でした。あの最後の行を読み終えた時、心が小説世界の情感にすっかりと染まってしまったのを感じました。静かですが強烈な読書体験でした。
 気になって本棚の「風の歌・・・」を探し、読み返しました。最初に読んだ時とはまったく違いました。以前、読み飛ばした一語一句、一行一行が急に意味を持ち出しました。いったい何なんだ、これは、と思いました。
 以後、「羊をめぐる冒険」「回転木馬のデッヒート」「蛍・納屋を焼く」「中国行きのスローボード」「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」と、とにかく夢中で読み出しました。
 あの頃の村上さんの作品の魅力は独特です。麻薬的といっていいと思います。一度その小説世界にはまってしまうとなかなか出てこれません。それだけ居心地がいいのです。
 大学の友人に村上春樹の話をしたら、「ああ、三大缶ビール小説ね」と言いました。当時、村上春樹と片岡義雄とあと誰かを称してそう呼んでいるとのことでした。
 私が村上春樹さんの小説で体験したことは、村上さんがスコット・フィッツジェラルドの「グレート・ギャッツビー」で体験したことと同じです。村上さんが、確か「ノルウェーの森」で主人公に言わせていたと思いますが、あの体験は、私も村上作品で体験し、本当によく理解できました。

 その後、「ノルウェーの森」で最初のブレイクが訪れます。この作品は、はたしてそれまでの村上ファンにどのように受け止められたのでしょう。私は、ダメでした。まったくダメでした。生理的に受け付けることが出来ませんでした。ここまでストイックにその小説世界を築き上げてきた作家が、突然、無防備なままその舞台裏をさらしてしまった。見たくなかった、と思いました。今でも、あの小説がすぐれた作品とは、私にはどうしても思えません。読み返したわけではありませんが。
 その後も、「ダンス・ダンス・ダンス」「ねじまき鳥クロニクル」「レキシントンの幽霊」など、好きな作品はありますが、同時に生理的にどうしても受け付けない作品も多くなりました。「スプートニク」や「カフカ」はダメでした。最初の数ページで止めました。
 残念に思うのは、私がもっとも好きな初期の2作品「ピンボール」や「風の歌」を村上さん自身が作品として未熟としていることです。かつてのファンとしてとても悲しく思います。
 最近でこそ無くなりましたが、30代までは、初期2作品を本当に何度も読み返しました。本棚から取り出し、どのページでもよい、開いたページを読むのです。どの行も味わい深く、まるで音楽を聴くように心に沁みてきたものでした。そのような小説は、この2作品を除いて私にはありません。奇跡といってよい美しい小説です。

 但し、その美しさは、のめりこんでしまうと、ちょっと危ういタイプの美しさだったのかもしれません。
 村上春樹論は多数でておりますが、もっとも的を射ていると思うのは精神科医の春日武彦さんの分析と思います。