2013年05月25日

思い出トランク

 昨日、机の上の名刺ボックスである方の名刺を探していたところ、大学時代のサークルの先輩(と言っても歳は同じ)の社会人になってからの名刺を発見しました。 その名刺を貰ったのは確か1997年の春だったと思います。やはり大学時代のサークルの先輩(と言っても歳は同じ。ハーッ)の結婚式の2次会だったと記憶してます。
 Wさんか、懐かしいな、と思い、会社名と名前をネットで検索してみたらビックリ!偉くなってました。
 幕張メッセで行われたイベントの写真があり、そこで今のW先輩の姿を確認できました。白髪まじりの髪を長く伸ばし後ろで束ねてました。タダモノではない雰囲気が漂ってます。
 W先輩のギターの腕前は当時から群を抜いてました。私がW先輩だったら絶対プロを目指していたと思います。たぶん今でもギターは続けているのではないか、と想像します。機会があれば、ぜひ演奏を聴いてみたいです。
 今朝、懐かしくなって学生時代の写真を引っ張り出してみました。昔の写真や手紙は古いトランクにまとめて入れてあります。昔、上野駅で買った5000円のトランクです。
 久しぶりに見た昔の写真。みんな若かったな、とあらためて思いました。
 正直言って、大学時代にはあまり良い思い出はない、と思ってました。よく、授業にはほとんど出なくってサ、という話を聞きますが、それは文系だから許されることで、私のような理系学生が授業に出ないと、かなり悲惨なことになります。少なくとも私は悲惨でした。教室に居場所がなくなります。学部の同期で今だ連絡があるのはK君一人だけです。
 それでも、夏休みや春休みに軽井沢や那須や清里や館山に皆で行った時の写真がけっこうたくさんあり、それを見る分には充分楽しそうです。なーんだ、ちゃんと青春してるじゃないか。
 写真の中には、今でもたまに会う3人はもちろん、Wさんもいます。
 若い時は今思うとホントにつまらん事を気にして悩みます。傷ついてばかりいたなあと思いますが、写真の中の若き日の私は、そんな事オクビにも出していません。自分で言うのも何ですが、けっこうイイ顔つき
してます。おいおいもうちょっと自信持っても良かったんじゃないか、お前・・・と思わず写真に語りかけてしまいました。
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2013年04月12日

汚れることの尊さ

 現場を回っての帰り、カーラジオからのニュース。 「タクシーの運転手がスピード違反で捕まり、警察に見逃してくれるよう金銭を渡そうとしたが拒否され、逃げ出したところ、追いかけてこられ、警官の襟首をつかむ暴力行為におよんで逮捕された。道交法違反の他、収賄の罪でも追及される見込み」との報道でした。
 皆さんはこのニュースを聴いてどう思われますか?
 私も数年前に仕事中に時速70kmで走行中、違反で捕まりました。20kmオーバーでした。遅れてはまずい会議があり、車から降り、手続き中も時間が気になって仕方なく、そこでロスした10分程度の時間は私にとっては致命的に思われました。また、そのために生じた焦りが、その後の事故につながる可能性もあるな、と真剣に思いました。つまり、事故防止という考え方から言えば、この取締りは明らかに逆効果と感じました。もっともそれ以後、遅れてはいけない場所へ車で移動する場合は大幅に余裕を持つことにしましたので、長期的な視点では良い経験だったとも言えます。

 話は戻って、このタクシー運転手さんの場合。勝手な想像が私の中で湧き上がってきました。
 この方は、ひょっとしてもう少しで個人タクシーを開業できる資格を得られたのかも知れません。しかし、ここで捕まれば、資格取得がまた3年伸びてしまいます。若ければ良いですが、50代とかであれば、3年延期になるのは痛いです。そこで、何とか見逃してもらおうと思わず財布からお金を出して、「これで見逃してください」と必死で御願いしたのかも知れません。それを拒否されたので、思わず逃げてしまった。しかし追いかけてくる。「俺の気持ちが分からないのか、お前には情けがないのか」と頭に血が上り、思わず警官の襟首をつかんでしまった・・・。

 ラジオニュースだけではもちろん詳細は分りません。ただ、可能性として上記の状況も充分考えられる、と思います。誰でもうっかりすれば出してしまう程度のスピード違反だったとすれば、そのためにこの方の払った代償は大き過ぎます。
 具体的には書けませんが、ここ1週間の間でも、これで実名報道するのか?、これで裁判に敗訴するのか、と思った報道が2件ありました。

 企業活動は、社会を豊かにする無くてはならないものですが、事業の過程、有価物を生み出す過程においてある程度の負荷を周囲におよぼさざるを得ません。一方、取り締まる法は年々厳しくなっています。法とは性悪説に基づいて制定されるもののようです。

 世の中は複雑で、法律が現実に対応しきれない例が多々あります。法と現実の乖離です。
 その隙間を埋める人間、というか法と現実の矛盾を引き受けるおおらかな心と覚悟を持った人間が少なくなってきた、と最近強く感じます。コンプライアンス、潔癖という名の隠れ蓑の中は「自分さえ法の下で咎められず責任を逃れられさえすれば、社会など他人などどうなろうとかまわない」という偏狭さが詰まってます。本末転倒の極みです。心にそういう蓑をまとった方たちは、矛盾という汚物を常に他人に押し付けます。押し付ける力の強さは、社会的権力の強さに比例しますので、最後は社会的弱者がそれを引き受け、かろうじて世の中がこうして動いているわけです。
 でも、それで良いわけないですね。
 今、求められるのは、社会的強者の中から、汚れることの尊さを知る者が多数現れてくれること、だと思います。現代の英雄とは、そういう存在なのかもしれません。
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2013年04月05日

親と子と仕事と

 ご無沙汰してます。久しぶりの更新です。 こんなゆったりした気分は久しぶりです。春の夕日が優しいです。
 今日は、珍しく家族のことを書きます。
 我が家は、父母、カミさん、私の4人家族。子供はいません。
 小さな会社ですから、家庭と仕事も切り離せません。食卓での会話はほとんど仕事がらみです。
 まあ、どこもそうでしょうが親子で仕事をやっていて、波風立たないところはないでしょう。ご多分にもれずウチもそうです。とくに口論が絶えなくなったのは2005年以降(今から7〜8年前)でしょうか。
 5年ほど前、東京の某伝統工芸を業務とする会社の社長さんと食事をしました。その会社も家族経営でしたが、仕事が終わると親子で近所のジャズバーへ行き、そこで社長さんはボーカル、息子さんはアルト・サックスを吹くのだそうです。
 「仲が良くて羨ましいですね」と私が言うと、その社長さんは、
 「いや、仕事では意見が合わなくて当たり前だよ。だって年代が違うんだから意見が合う方がおかしい。同業者を見ても、親子の意見が合う会社は、まあ、息子が潰すね。遺産目当てで、親父に気に入られることしか考えてないんだから当たり前だよ。あなたは今のままで良い。自分の考えはちゃんとぶつけて信念をもっておやんなさい」と言ってくれました。
 別に私の意見が正しいとか正しくないではなく、「生き方」そのものを肯定してくれた言葉でした。悩んでいた私は、すっと心が楽になったものです。
 今は社長交代も済み、職場での親子喧嘩はさすがになくなりましたが、最近は両親のリタイア後の人生について意見が合わなくて困ってます。私と妻は、それなりに合理的な判断から、今行っていた方が良いことを提案しますが、両親はまずほとんど受け入れません。理性に訴える説得はまるで効果がないのです。先日の夕食時は、母があまりに非合理的で頑固なので、私も久しぶりに怒鳴ってしまいました。
 その夜は、気分を鎮めるため隠れ家へ泊まったのですが、そこで薪ストーブに火を入れながらふっと思いました。「親がいつのまにか子に還っている・・・」
 幾ら理をつくして説明しても感情的に嫌なものは嫌、というのではまるで子供です。我が親はその領域に入ってます。
 妻によく言うのですが、私は子供がいなくてほんとうに良かった、と思ってます。もし私に子供がいたら、私はその子を自分の思うように育てようとしたでしょう。ああしろ、こうすべき、と実に口うるさい父になっていたと確信します。大学は何が何でも東大に入れようとしたでしょう。そんな自分を見たくなかったから、子供がいなくて良かった、と思うわけです。
 ストーブの火を見ながら突然、気が付きました。「ひょっとして俺、おふくろに、同じことしてないか」
 傍らにいた妻に、そう言うと、妻は「やっと気が付いた?」という風なことを言いました。
 人を、自分の思うままに動かすことなど出来ません。私は、子供がいたら行っていたに違いない自分の醜い行動を、まるで子供に還ったかのような両親に対し、してしまっていたのではないか?
 そう思った瞬間、心にあった怒りの感情があっけなく氷解してしまいました。
 翌朝、母に謝りました。
 それにしてもカミさんには今回も頭が上がりませんでした。すべて見通しながら、私が自分で気付くまでじっと耐え待っていてくれました。逆立ちしてもかないません。ホントに。
 東京の社長さんは、私がお会いしてから2年後、急逝されました。
 駅まで送っていただいた時、車のカーステレオから、息子さんが吹くアルト・サックスが流れていました。とてもムードのある演奏で、私がそう感想を言うと、実に嬉しそうに笑っておられたことを思い出します。
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2012年12月29日

今日で仕事納め

  今日で仕事納めです。近隣現場から帰ったグループで第1回の終礼を終え、今は第2陣(遠距離グループ)の帰りを待ちながら、ブログを書いてます。ラジオからはアヴァンティが流れてます。 と、今第2陣2グループが帰ってきて、これから日報書きです。
 冬至も過ぎ、これからは少しずつ日も長くなっていきます。
 寒さはこれからですが、光の春は日一日と確実に近づいてきます。
 皆様、よいお年を。
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2012年12月18日

ヨコチンの思い出

 12月に入って初めて更新します。 タイトルを書いて、ちょっと卑猥かな、と思いましたが、残念ながらそういう意味ではありません。
 今から30年近く前の思い出です。
 大学から深夜アパートに帰ったら、鍵がありません。
 当時の私のアパートのドアは内側からカチッとボタンを押して閉めるタイプでした。つまり私は部屋に鍵を忘れたままロックして出かけてしまったのでした。夜遅く、大家さんを起こすわけにもいきません。どうしようと途方に暮れていた時、向かいの部屋のドアが開きました。
 「ひょっとして鍵忘れた?」と、巻き舌、三白眼の若い男。
 それがヨコチンとの出会いでした。
 ヨコチンはその夜、私を部屋に泊めてくれ、味噌煮込みご飯をごちそうしてくれました。
 これをきっかけに私とヨコチンの付き合いが始まりました。
 当時彼は、18歳か19歳。確か私より4歳くらい下だったと思います。
 名古屋から東京に出てきたばかり。日本拳法をやっており、それで世に出るのが彼の夢でした。
 たまに試合に出ると、翌日、顔がボコボコになってました。
 私にとってヨコチンはそれまで付き合ったことのないタイプの青年でした。三白眼という言葉は彼に出会って知りました。二言目には「絞める」「殺す」「引きずり回す」が口癖でした。愛読書は矢沢永吉の「成り上がり」でした。私も読まされました。
 就職活動中、某大手出版社に提出する履歴書や課題の作文を書いている途中で高熱で倒れ、提出期限が翌日だったため、仕方なくヨコチンに直接出版社まで持ってってくれ、と頼みました。
 帰って来たヨコチンは誇らしげに言いました。
 「沼田さん、絶対大丈夫、受かるから。俺、受付の女に、この人落としたら承知しねえぞってちゃんと言っといたから」
 ちなみに自慢ではありませんが、私、書類選考で落とされたのはその1社だけです。
 たまに、二人で新宿や渋谷に飲みに行きました。
 ヨコチンといると、それまでの大学での生活とはまったく違う世界を体験できました。何よりもヨコチンの昔話が面白かった。なるほど、都会(名古屋)の不良高校生というのはこんな生活をしているのか、と実に新鮮でした。
 ちなみにヨコチンというのは私が付けたあだ名です。「ったくもう、沼田さんだけだからね、俺をそう呼んでいいの」と言ってくさってました。
 お互いアパートを引越し、私が社会人になってしばらくしてから、音信が途切れました。確か1990年だったと思います。仕事から帰ると、ヨコチンから葉書が届いてました。モノクロの写真を加工したなかなかオシャレな葉書でした。どこかの建物の壁にもたれた横顔のヨコチンの傍らに髪の長い女性がいました。
 「名古屋に帰り、先日結婚してしまった」と書いてました。
 それからどうしたか・・・。電話したような気もするし、しなかったような気も・・・。何れ、その葉書が私とヨコチンをつないだ最後のツールでした。
 不思議なもので現在仕事の関係で名古屋とは密接な関係にあります。取引先の社長も代替わりが続き、ちょうど私より4歳下あたりの社長さんが多いです。ようするに皆、ヨコチンの同級生くらいです。明日もその年代の三州瓦の社長さんが2名来社されます。そんなわけでちょっとヨコチンの思い出にひたってしまいました。ヨコチ〜ン、元気か。
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2012年11月07日

奇跡のカツ丼

 当社の棟瓦施工法が発明協会の賞をいただけることになり、思えば社会人になって公式に人から褒められるのは初めてだな、と気づき、やっぱりうれしいです。  
 8月に棟補強金具の特許出願をしたのですが、実は引き続き3つ目の出願の準備を進めております。長年懸案だったある施工上の問題を解決するアイディアです。もちろんアイディア止まりではなく、その効果は模擬屋根で実証済です。即、現場で実施可能なのですが、権利取得のため出願が終わるまでは現場での施工も公開もできません。

 月曜は、瓦工事業組合の仕事で田老町へ行ってきました。帰りに宮古で昼食をとったのですが、その時食べたカツ丼の味が今だ脳裏を離れません。

 駅前の小さな食堂でした。店構えに惹かれ、のれんをくぐりました。
 カツ丼を注文し、厨房で働く店の方の様子をうかがっておりました。タマネギをきざむ包丁さばきが見事でしたし、動作も流れるようで、「これは期待できるかも」と思っているところに料理が来ました。
 一見してアレッと思いました。
 ご飯の上にカツがのっており、その上に玉子とタマネギをタレで煮た具材がのってます。つまりカツを玉子で煮てとじる一般的なタイプのカツ丼ではなかったわけです。
 カツを箸でつまんでみると、衣が薄くきれいに肉を包んでいます。ロース肉は実にジューシーでした。口に含んでおっと思いました。肉に下味がついている、実にいい加減の塩味でした。美味い、と思いました。
 タマネギを包んだ玉子はきちんと火が通っているのにやわらかく、まるであたたかい生湯葉のような食感でした。
 衣はサックリ、中はジューシーなカツと、独特の食感の玉子とご飯を、気が付けば夢中で食べてました。
 食後、店の方のお話を訊きました。
 戦前からのお店で、カツ丼は創業当時からこのスタイルだったそうです。ちなみに今の方は三代目とのこと。他のメニューも食べたくなりました。宮古に来た際はまた来ます、と言って店を後にしました。

 帰りは大槌町に寄らねばならず45号線を南下しました。

 途中、浪板海岸を通りました。美しかった砂浜はやはり無くなってました。
 震災前、最後に浪板海岸に来たのは、2010年の秋の初めでした。
 日曜の夕暮れに、砂浜で裸足になって砂と波の感触を楽しんだものです。闇と光が交差する時刻、波打ち際の透き通る水の色が忘れられません。
 
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2012年11月01日

議会制民主主義の限界 その2

 御無沙汰してました。久しぶりに更新いたします。話題はカタメで行きます。 
 以前「議会制民主主義の限界」と題する記事を書きました。今回は別の角度から、現代社会においてなぜ政治がうまく機能しないのか、について書いてみたいと思います。湯浅誠氏の著作「ヒーローを待っていても世界は変わらない」にインスパイアされての記述ですが、あくまで私の意見として読んでいただければと思います。
 まず、「議会制民主主義はベストな社会を作るには向かない制度である」と認める必要があると思います。ベターな社会を目指すことも困難と思います。別の言い方をすれば、「議会制民主主義とはワーストを回避するにはもっとも優れた制度である」ということです。
 以前、管氏が総理だった頃に「最少不幸社会」という表現をしましたが、実はあの言葉は議会制民主主義の悲しい本質をズバリ言い当てたものだったかもしれません。
 今の政治には「強いリーダーシップ」が求められています。経済界を見渡せば、強いリーダーシップを持った人材はゴロゴロいます。ソフトバンクの社長さんとかユニクロの社長さんとか沼田製瓦の社長さんとかとにかくいっぱいいます。
 では、そういう方々が総理をやれば上手くいくのか、といえばまず絶対ムリです。
 企業経営は基本的に志を同じくする者、利害が一致する者同士が組織を組んでコトにあたります。
 政治の場合は、主権者全員の意見が一致すること、すべての主権者の利害が一致することなどあり得ません。よってリーダーは自分が取りたい政策に賛成する人々よりも、むしろ反対する人々の意見を調整することに時間を取られます。ここが、企業経営と政治の最大の違いです。結果、大胆な政策が選択されることはなく、反対意見を調整する過程で骨抜きにされたような政策が出来上がります。したがってその効果には限界がありますが、少なくとも誰もが「それはないだろー!」と悲鳴をあげるような最悪の状況だけは回避されるでしょう。これもまた議会制民主主義の限界と言えます。
 長いこと政治家をやっていればそんなこと分っていて当たり前なのに、80歳にもなってまだ「強いリーダー」を演じたい方がいるようです。今まで何を学んできたのでしょう?
 私は基本的に調整ごとが苦手なので政治の世界は嫌いです。できるだけ近寄らないようにしています。でも主権者として意見だけはいつでもキチンと表明したいと思ってます。それでも私にとって不本意な形で世の中が動いたとしてもそれは仕方のないことです。だって、議会制民主主義に代わるより優れた制度は今のところ見つかっていませんから。
 
 
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2012年09月28日

優しく豊かな人々が幸せになれない世界

 先日、「石垣島に移住した俵万智さんについて」と題する記事にコメントをいただきました。この記事で私が言いたかったことは、もうひとつの記事「究極の利己主義が道徳を生む」で言いたかったことと本質的に同じことかもしれません。「石垣島・・・」に興味を持っていただけた方はぜひ「究極の・・・」も御覧になっていただければ、と思います。 これらふたつの記事のキモとなる主張をたった一言で端的に表現した言葉があります。
 「情けは人のためならず」です。
 ちなみに宮澤賢治の有名な言葉「世界が全体幸福にならない限り個人の幸福はあり得ない」、これも同様の感性から絞り出された言葉である、と私は感じております。
 もっと例を挙げれば、私の世代ではみんなが知っている有名な詩「夕焼け」(吉野弘)、夕暮れのバスの中で2度老人に席を譲り、3度目は譲れなかった若い女性。彼女が象徴していたものが、今回の俵万智さんの状況と言えないでしょうか?
 宮澤賢治は100年以上前の花巻で、職場帰りに蕎麦屋で蕎麦を食べ、ソーダ水を飲んでいた特権階級であります。うろ覚えですがチェロとエスペラント語のレッスンのために東京へ行けた人だったと思います、確か。現代で言えば、頻繁に三ツ星レストランのフレンチを食べ、ニューヨークかパリにレッスンに行ってたような感覚と思います。要するに富豪のご子息であったわけです。
 周囲は貧しい農民だらけの中で、心優しい賢治が自分の境遇を心から楽しめたとは思えません。賢治でなくともまともな感性を持っていれば、明日の生活にも困っている人々がたくさんいるのに、自分だけ贅沢を楽しむ気にはなりませんよね。つまり、自分は贅沢ができる身分だか、周りの人々の生活が悲惨過ぎて、自分だけ贅沢をするのは気が引ける。かといって自分の財産をばらまいて皆を救うだけの博愛精神もない。したがって、「頼むからみなさん、悲惨な暮らしから脱却してくださいよ、そうしなければ心優しい私は、みなさんの目が気になって贅沢を楽しめないじゃないですか」という思いを書き言葉にしたのが「世界が全体幸福に・・・」の真の意味だと私は思ってます。そして、ムリヤリ自分の周囲を幸福な世界に仕立てようとした結果「イーハトーブ」という美しいメルヘン世界が誕生しました。
 「夕焼け」の女性も、最後は疲れた身体をシートに沈ませ老人に席を譲れなかった。そして心は辛く、歯をかみしめてうつむく。美しい夕焼けも見ないで。
 もちろん私は、宮澤賢治も「夕焼け」の女性も責める気持ちは毛頭ありません。むしろ心からシンパシーを感じます。
 2011年3月11日、この日を境に多くの「豊かで心優しい方々」が、露骨に、あまりにも露骨に、このような状況に立たされているような気がします。私には神様が仕掛けた意地悪に思えて仕方ありません。
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2012年09月24日

忘れがたい童話

 紫波町のオガール地区が気になってます。実は昨日も行ってきました。 そういえば、やはり以前目撃したのはぐっちーさん本人に間違いなかったみたいです。ぐっちーさんはオガール・プロジェクトに深く関わっていたんですね。
 ちなみに今回はオガールプラザ内の図書館を見てきました。その感想はひとまず置いといて、今日は童話について書いてみたいと思います。
 私は、初めての図書館に行くと、まず児童図書のコーナーを見ます。
 読書の記憶と言えば、私にとって小学校の頃に読んだ数々の童話ほど、心躍るものはありません。思いつくままに挙げてみると「空飛ぶ家」「松の木の王子」「小さな魔女」「おかあさんは魔女」「魔法のぼうし」「もぐら原っぱの仲間たち」「青空にばんざい」・・・。その多くは絶版になっているのでしょう。児童図書のコーナーでいつも探して見るのですが、今だ見つけられません。
 それらの中で、もう一度読んでみたい、と思う忘れられない作品が3冊あります。
 「小さな町のなかで」「文彦のふしぎな旅」「絵にかくと変な家」の3冊です。
 「小さな町の中で」は確か小学校5年生の冬に読んだと思います。カメラが趣味の少女が主人公で、その娘と脱走兵(おそらくベトナムからの脱走兵で黒人だったような)とのふれあいがテーマだったような気がします。普通の少女の日常に黒人の脱走兵が現れる、という不思議なムードを持った作品でした。
 「文彦のふしぎな旅」は満州が舞台だったと思います。ラストがあまりに衝撃的で、読後しばし呆然としたのを憶えてます。
 「絵にかくと変な家」は、ちょっと大人になってから、中学3年の時に読みました。学生運動が絡んでくる思想色の強い作品だったような気がしますが、それとは別に(いや、それだからこそ、と言うべきでしょうか)忘れがたい独特の印象がありました。
 3作品すべてに共通するのは、どれも一筋縄ではいかない、クセのある作品である、と言うことでしょう。生理的な部分を直撃してくるようなザラりとした感触が何とも言えません。ネットで検索してみたのですが、ヒットしたのは「文彦・・・」だけでした。あとの2作は絶版になってしまったのでしょうか?ひょっとしたら、今の子供たちに読ませるのに好ましくない内容、と判断されてしまったのかな?
 何れにせよ、あの頃のような読書体験は二度と経験できないでしょう。
 図書館の匂い、手に取った本の記憶とその時々の季節が織りなす情景は、ほんとうに忘れがたい大切な思い出です。
 そう言えば、本に絡んで一人の実在の少女のことを思い出しました。次回、彼女について書いてみたいと思います。もう、40年も前のことだから、書いても多分、差しさわりないでしょう。
 

2012年09月17日

2度目の特許出願完了

 今は9月18日午前11時半です。昨日書いた内容に下記の通り大幅な訂正があります。
 @今回申請した特許が公開になるのは(電子図書館で閲覧可能になるのは)1年半後でした。
 A審査請求は出願から3年以内であればいつでもできるそうです。
 先ほど別件で弁理士さんと話した時に、念のため訊いてみたら私の認識に相当な誤りがあることが判明しましたので、訂正箇所を冒頭に書いておきます。そんなわけで下記の文章は間違いだらけではありますが、それもまた私のズボラな一面ですので、そのまま残しておきます。では、今から盛岡です。行ってきます。

(訂正前の記事)
8月末に棟瓦の耐震補強金具についての特許出願が完了しました。3月10日のブログの冒頭で書いた金具です。私にとってはふたつめの出願になります。前回同様、審査請求をおこして、丁寧に事を進め、特許取得に至りたい、と思ってます。 前回取得の特許は、業界人でさえ分りにくい内容でした。棟瓦の倒壊のメカニズムを理解していないと工法の意味するところがつかめないのです。残念ながら同業の瓦屋さんでも、説明してわかってもらえないケースが多いです。当社の従業員は日常的に現場でこの特許による工法を実施してますから、充分その利点を理解してます。何よりも効率的(仕事が楽)なのです。強くて軽くて作業性が良い、抜群の工法なんだけどなあ・・・。
 一方、今回の特許は実に分りやすいです。興味のある方は、もうしばらくしたら特許庁の電子図書館にアクセスして、例えば「沼田 弘 瓦」と入れて検索してみてください。今日の時点ではまだUPしてないようですが。(←この文章マチガイです。UPされるのは1年半後でした。失礼しました。)
 特許の業界(って言ったらよいのかな)というのもいろいろとクセがある世界みたいで、エンジニアのY君は自分で申請文書を書いていたくらいですから裏事情に詳しいです。
 審査請求は1年半後になりますが、今回は極めて分りやすい「独自性」と「新規性」を持っているので、どんな反論が返ってくるのか、ちょっと楽しみではあります。
 もうちょっと余裕が出来たら、製品開発まで進み、製品として売出しも視野に入れてます。乞うご期待。
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